●生誕−1940年代 |
●1950年代 |
●1960年代 |
●1970年代 |
●1980年代−死没 |
年 | 月日 | 森康二の軌跡(生誕−1940年代) |
1925 | 01/28 | 3人兄妹の次男として、鳥取県鳥取市に生まれる。 |
当時日本の植民地であった台湾の屏東で幼少期を過ごす。 | ||
1931 | 小学1年の夏、台中に引っ越す。 | |
1年に数回、夜の小学校の校庭で開かれた映画会で、マンガ映画(アニメーション)と出会う。 | ||
1936 | 小学6年の秋、クラスメートの男子が砲丸投げを真似て投げたコンクリートの塊が頭を直撃し、頭蓋骨が陥没。 1か月程で退院できたものの、以降帽子をかぶる習慣が身に付く。 |
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1937 | 04 | 台中州立第二中学校に入学。旧制だったため、当時の中学校は5年間であった。 |
中学時代、ミケランジェロの伝記を読み、建築家を志すようになる。 | ||
1942 | 02 | 受験のため、台湾を離れ本土に渡る。しかし、受験は失敗に終わる。 |
1943 | 一浪し、東京美術学校(現東京芸術大学)建築科に合格する。大田区大森の下宿先から台東区上野にある同校に通学。 | |
夏、政岡憲三演出の「くもとちゅうりっぷ」を下宿先の近くにある映画館で見て感銘を受ける。 | ||
1944 | 学徒動員令により、美術学校の生徒は各地の航空隊に派遣され、教材用の絵を描かされる。 国民の食糧事情が悪化する中、派遣された美術学校の生徒は食糧に困窮することはなかった。 |
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1945 | 02/08 | 召集令状が届き、千葉の鉄道隊に入営。 |
08/15 | 九州で終戦を迎える。 | |
1946 | 03 | 復学のため、再び上京する。美術学校の建築科校舎地下にあるボイラー室に住む。 |
ポール・H・テリーの短編「マイティマウス」シリーズの『グリーンライン』を見て、アニメーションの仕事を志すようになる。 | ||
1948 | 04 | 政岡憲三を師事し、日本動画に入社。初仕事は映画「とらちゃんと花嫁」(政岡憲三演出)で、彩色を担当。 1か月ほどで彩色から動画に移され、「ポッポやさん のんき駅長」(熊川正雄演出)の制作に参加。 |
冬、不注意により会社でボヤを起こしてしまう。 | ||
1949 | 06 | 映画「ポッポやさん のんき機関士」(熊川正雄演出)完成。動画を担当。 |
年 | 月日 | 森康二の軌跡(1950年代) |
1950 | 経営不振により、日本動画は社員全員を解雇。森も失業する。 | |
02 | 縫氏と結婚する。 | |
12 | 映画「小人と青虫」(古沢秀雄演出)完成。原画を担当。 | |
失業後はイラストレーターの仕事などで何とか生計を立てる。 | ||
1952 | 08 | 日本動画が東宝教育映画部を吸収して増資し、日動映画に改称。森は西武百貨店宣伝部に入社。 |
1953 | 08 | 映画「ありとはと」(湯原甫演出)完成。日動映画の外注を受け、原画を担当。 |
1954 | 03 | 映画「子うさぎものがたり」完成。日動映画の外注を受け、原画、演出(藪下泰司と共同)を担当。 |
04 | 映画「かっぱ川太郎」(藪下泰司作画演出)完成。日動映画の外注を受け、動画を担当。 | |
1955 | 10 | 映画「うかれバイオリン」(藪下泰司演出)完成。日動映画の外注を受け、動画を担当。 |
1956 | 日動映画に入社。 | |
07 | 映画「黒いきこりと白いきこり」(藪下泰司演出)完成。脚色と原画を担当。 | |
07 | 日動映画が東映教育映画の傘下に入り、東映動画が発足する。 | |
12 | 東映動画の第1作に「こねこのらくがき」が決定する。 | |
1957 | 01 | 東映動画が練馬区東大泉に移転。 |
05/13 | 映画「こねこのらくがき」(藪下泰司演出)完成。原画と絵コンテを担当。 | |
1958 | 10/22 | 映画「白蛇伝」(藪下泰司演出)公開。原画を担当。豚が率いる愚連隊とパンダの喧嘩など、動物たちが活躍する印象的なシーンで手腕を発揮する。 |
1959 | 09 | 映画「こねこのスタジオ」完成。演出、原画を担当。シナリオから作画まで関わり、当時の森の技量が大いに発揮される。 |
12/25 | 映画「少年猿飛佐助」(藪下泰司・大工原章演出)公開。佐助の家で動物たちがおやつを食べるシーンなどの原画を担当。 | |
年 | 月日 | 森康二の軌跡(1960年代) |
1960 | 08/14 | 映画「西遊記」(藪下泰司・手塚治虫・白川大作演出)公開。孫悟空のガールフレンドである雌猿のリンリンのカットを中心に原画を担当。吹雪の中リンリンが悟空を訪ねるシーンが好評を博す。 |
十二指腸潰瘍で1か月ほど入院。症状は軽度であったものの、胃の3分の2を切除。 | ||
1961 | 07/19 | 映画「安寿と厨子王丸」(藪下泰司・芹川有吾演出)公開。安寿と厨子王のシーンを中心に原画を担当。同作品はスタッフの間では極めて不評で、森も5年後の社内批評会において厳しい評価を下している。 |
10 | 映画「ねずみのよめいり」(白川大作演出)完成。監修を務める。 | |
1962 | 07 | 映画「もぐらのモトロ」(池田宏演出)完成。監修を務める。 |
1963 | 03/24 | 映画「わんぱく王子の大蛇退治」(芹川有吾演出)公開。作品全体の絵を統一させるため、作画監督という新たなシステムが確立され、森が抜擢される。 |
3年前の胃の手術が原因で腸閉塞を患い入院。腸を90センチ切除。以後10年ほど、春と秋に入院を繰り返す。 | ||
12/21 | 映画「わんわん忠臣蔵」(白川大作演出)公開。原画を担当。 | |
1965 | 03/20 | 映画「ガリバーの宇宙旅行」(黒田昌郎演出)公開。ラストシーンの原画を担当。 |
TVシリーズ「宇宙パトロール ホッパ」の作画監修と作画監督を担当。話数は不明。 | ||
TVシリーズ「ハッスルパンチ」の原案と作画監督を2本担当。 動物たちによるドタバタ劇が主体の本作には、森氏の技量が大いに発揮された。 |
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1967 | TVシリーズ「001/7 親指トム」の原画と作画監督を担当。話数は不明。 | |
1968 | 07/21 | 映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(高畑勲演出)公開。原画を担当。 物語のヒロインであるヒルダの内面を、細やかな表情、仕草で描き切った。 |
1969 | 03/18 | 映画「長靴をはいた猫」(矢吹公郎演出)公開。作画監督を務める。冒頭の歌が流れるシーンなどの原画も担当。 |
年 | 月日 | 森康二の軌跡(1970年代) |
1970 | 03/17 | 映画「ちびっ子レミと名犬カピ」(芹川有吾演出)公開。原画を担当。 |
1971 | 03/20 | 映画「どうぶつ宝島」(池田宏演出)公開。作画監督を務める。牢屋に閉じ込められたジムとグランが、空気孔からの脱出を図るシーンなどの原画も担当。 |
07/18 | 映画「アリババと40匹の盗賊」(設楽博演出)公開。原画を担当。 | |
1972 | 03/18 | 映画「ながぐつ三銃士」(池田宏演出)公開。作画監督を務める。 |
07/16 | 映画「魔犬ライナー0011 変身せよ!」(設楽博演出)公開。原画を担当。 | |
TVシリーズ「マジンガーZ」の原画を担当。話数は不明。 | ||
1973 | 03/17 | 映画「パンダの大冒険」(設楽博演出)公開。原画を担当。 |
東映動画の半年に及ぶロックアウトの後、新社長により退社勧告を言い渡され、やむなく退職。ズイヨー映像に移籍する。 | ||
TVシリーズ「山ねずみロッキーチャック」の第12話以降の作画監督を担当。 | ||
秋、眼の虹彩に炎症が起き、突然視力が低下する。検査で網膜の異常も見つかり、国立大学の医師には「5年で仕事ができなくなり、10年で失明するかもしれない」と告げられる。 | ||
TVシリーズ「アルプスの少女ハイジ」のパイロットフィルムのキャラクターデザイン、原画を担当。 | ||
1974 | 01/06 | TVシリーズ「アルプスの少女ハイジ」放映開始。オープニング作画を担当。 森は同シリーズを手放しで評価しているが、視力の低下もあってメインスタッフには加われなかった。 |
1975 | 01/05 | TVシリーズ「フランダースの犬」放映開始。キャラクターデザイン、オープニング作画を担当。 |
06/03 | ズイヨー映像が日本アニメーションへと独立改組され、引き続き同社の所属となる。 | |
10/07 | TVシリーズ「草原の少女ローラ」放映開始。キャラクターデザイン、作画監督を務める。 | |
1977 | 01 | 馬場淑子作「ふしぎなカバン」発行。同作の挿絵を担当。 |
06/07 | TVシリーズ「シートン動物記 くまの子ジャッキー」放映開始。キャラクターデザイン、作画監督、レイアウトを務める。 | |
1978 | 01/01 | TVシリーズ「ペリーヌ物語」放映開始。レイアウトを担当。 |
TVシリーズ「未来少年コナン」の原画を2本担当。 | ||
1979 | 04/07 | TVシリーズ「シートン動物記 りすのバナー」放映開始。キャラクターデザインを担当。 |
06/30 | TV「トンデモネズミ大活躍」放映。キャラクターデザインを担当。 | |
年 | 月日 | 森康二の軌跡(1980年代−死没) |
1980 | 01 | 「森やすじの動物カット集」が小学館より発行される。 |
02/03 | TV「のどか森の動物大作戦」放映。キャラクターデザインを担当。 | |
1981 | 東京デザイナー学院アニメーション科の講師に就任。 | |
04/11 | TVシリーズ「フーセンのドラ太郎」放映開始。キャラクターデザインを担当。 | |
10/09 | TVシリーズ「ワンワン三銃士」放映開始。レイアウト監修を担当。 | |
1983 | 「月刊アニメージュ」で『アニメーターの自伝 もぐらの歌』を連載。 | |
10/10 | TVシリーズ「ふしぎの国のアリス」放映開始。レイアウト監修を担当。 | |
1984 | 07/07 | TVシリーズ「ふしぎなコアラブリンキー」放映開始。レイアウト監修を担当。 |
08/31 | 「アニメーターの自伝 もぐらの歌」が文庫化され、徳間書店より発行される。 | |
1985 | 01/06 | TVシリーズ「小公女セーラ」放映開始。レイアウト監修を担当。 |
01 | 久米みのる作「へんしんバットのひみつ」発行。挿絵を担当。 | |
岸田 衿子作「ハリエモンのくすりはおいしいか?―ハリネズミの名医さん大活躍」の挿絵を担当。 | ||
1986 | 04/25 | TVシリーズ「青春アニメ大全集」放映開始。レイアウト監修、キャラクター監修、キャラクターデザインを担当。 |
05/19 | TV「サンゴ礁伝説 青い海のエルフィ」放映。場面設定を担当。 | |
1987 | 10/19 | TV「瞳のなかの少年 15少年漂流記」放映。監修を務める。 |
10/21 | TVシリーズ「グリム名作劇場」放映開始。キャラクターデザインを担当。 | |
1988 | 10/02 | TVシリーズ「新グリム名作劇場」放映開始。キャラクターデザインを担当。 |
1989 | 3度目の手術を受け、自宅療養生活に入る。 | |
07 | 岸田 衿子作「ハリエモンのくすりはおいしいか?―ハリネズミの名医さん大活躍」が徳間書店より発行される。 | |
1991 | 「月刊ニュータイプ」で『森やすじとゆかいな仲間たち』を連載。病気のために5回で中断となる。 | |
1992 | 02/28 | 森の業績をまとめた「もりやすじの世界」を、宮崎駿が自費出版する。 |
03/29 | アニドウが「もりやすじのアニメーション世界を語る」と題したトークショーを開催。 | |
09/05 | 未明、肝臓ガンにより逝去。満67歳没。葬儀は東京都東大和市の三光院で行われる。 | |
1993 | 10/01 | 森の遺作「おおかみと7匹の子やぎ」を収録したOVA「アニメ・アート・ビデオ・コレクション」(第4巻)が日本コロムビアより発売。 森は監督、キャラクターデザインを務めた。 |
※太字…森康二が実制作に携わったアニメーション作品 ※赤太字…森康二がメインスタッフ(作画監督、絵コンテ、演出等)として実制作に参加したアニメーション作品 ※青太字…森康二が原作あるいは著作のアニメーション以外の作品 |