大塚康生バイオグラフィー
生誕−1950年代
1960年代
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2000年代

月日 大塚康生の軌跡(生誕−1950年代
1931 07/11 姉と弟の3人兄弟の長男として、島根県鹿足郡木部村(現津和野町)に生まれる。
1939   小学2年の時、山口県山口市に転居。
  この地で国鉄山口線の蒸気機関車に魅せられ、夢中になってスケッチをする。
自然と機械の構造やパーツ名、作道原理を覚え、後のアニメーター人生にも生かされることとなる。
1945 08 学徒動員により、山口県下関市で終戦を迎える。
1946 04 県立山口工業(旧制中学)土木科に入学。
  旧制中学時代、終戦後日本にやってきた米軍のジープやトラックを見てカルチャーショックを受け、スケッチの対象が機関車から軍用車両へと変わる。ジープの構造を知るために米軍のゴミ捨て場にあったマニュアルを拾っては翻訳し、英語も覚える。
1951 04 山口県庁総務部統計課に就職。
  ジープだけでなく、町並や雑踏、人間もスケッチするようになる。
  ソ連のアニメーション「せむしの仔馬」(1947年、イワン・イワノフ=ワノ監督)に強い衝撃を受ける。
  山口新聞などの新聞三紙と、厚生省の医療関係の雑誌で1コマの政治漫画を描く。
1952   政治漫画家を志して上京。厚生省の採用試験に合格し、 関東甲信越地区麻薬取締官事務所に配属される。
  仕事の傍らデッサン塾に通い、図書館で漫画を模写したり、街頭で通行人や風景をスケッチしていた。
  フランスのアニメーション「やぶにらみの暴君」(1952年、ポール・グリモー監督)に感動し、アニメーションに一層興味を持つ。
  不規則な生活と劣悪な食糧事情から当時流行していた結核を患い、以後2年間の療養生活を余儀なくされる。
1956   機関車やジープのスケッチを持参して芦田漫画製作所を訪ねたものの、門前払いされる。
  夏、読売新聞社会面に東映が漫画映画の制作を決定した記事が載り、それを見た大塚は新宿区若松町にあった日動映画のスタジオを訪れ、テストを受ける。ここで大塚は、山本早苗、薮下泰次、大工原章、森康二という当時の漫画映画界の中心的存在だった4人に1日で出会うこととなる。結果は合格で、以後スタジオに通いながら動画の練習をする。
08/01 東映が日動映画を吸収し、東映動画が発足。大塚は東映動画第一期生として臨時採用される。 
1957 05/13 映画「こねこのらくがき」(藪下泰司演出)完成。動画を担当。
10/14 映画「ハヌマンの新しい冒険」(藪下泰司演出)完成。動画を担当。
11/25 映画「かっぱのぱあ太郎」(花野原芳明演出)完成。動画を担当。
12/10 「白蛇伝」の作画が開始。大塚は大工原班のセカンド原画に配置される。 
1958 04/05 映画「夢見童子」(蕗谷虹二演出)完成。動画を担当。
10/22 映画「白蛇伝」(藪下泰司演出)公開。セカンド原画を担当する。
1959 03/25 東映動画の労働組合が結成され、大塚が委員長に選出される。
06/20 映画「たぬきさん大当たり」完成。動画を担当。
10/20 映画「熊と子供たち」完成。動画を担当。
12/25 映画「少年猿飛佐助」(藪下泰司・大工原章演出)公開。ラスト、佐助に退治された夜叉姫が骸骨になって湖上を飛んで逃げるシーンなどの原画を担当。
月日 大塚康生の軌跡(1960年代
1960 08/14 映画「西遊記」(藪下泰司・手塚治虫・白川大作演出)公開。孫悟空がさそりや牛魔王と闘うシーンなどの原画を担当。
1961   同僚で仕上スタッフの本橋文枝と結婚。
07/19 映画「安寿と厨子王丸」(藪下泰司・芹川有吾演出)公開。原画を担当。同作品はスタッフの間では極めて不評で、大塚も5年後の社内批評会において厳しい評価を下している。
1962 04 東映動画労働組合が結成され、2代目書記長に選出される。ちなみに、副委員長は高畑勲だった。
07/21 映画「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」(藪下泰司・黒田昌郎演出)公開。全編の自然現象やクジラ親子や船のシーンなどの原画を担当。
  FIAT500を購入。 
1963 07/21 映画「わんぱく王子の大蛇退治」(芹川有吾演出)公開。ラストに登場するヤマタノオロチとスサノオの決闘シーンの原画を担当。ヤマタノオロチの頭部のデザインやコンテの清書も手がける。
  TVシリーズ「狼少年ケン」の動画を担当。話数は不明。
1964   TVシリーズ「少年忍者 風のフジ丸」の原画を担当。話数は不明。
1965 03/20 映画「ガリバーの宇宙旅行」(黒田昌郎演出)公開。ロケット打ち上げの際のミュージカルシーンの原画を担当。
  会社側から次の長編アニメーション映画の作画監督を依頼され、演出に高畑勲を起用させることを条件に承諾する。
  TVシリーズ「W3」のオープニングの作画を担当。
  TVシリーズ「ハッスルパンチ」の第8話『底抜け大サーカス』の作画監督を務める。原画も担当しているが、話数は不明。
1966 04/04 深沢一夫のシナリオ決定稿を基に、高畑勲とともに「太陽の王子」の絵コンテ作業を開始する。4月中に作画が開始される。
10/14 制作遅延のため、「太陽の王子」の制作中断が会社側から発表される。
1967 01/17 「太陽の王子」の制作が再開される。
1968 03/19 「太陽の王子」が完成。初号試写が行われる。 
07/21 映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(高畑勲演出)公開。作画監督を務め、物語序盤の狼がホルス達を襲撃するシーン、怪魚・大カマスとホルスが戦うシーンなどの原画も担当。
07 この頃より、週に1度ずつ夕方6時から、新橋にある「東京デザインカレッジ」のアニメーション科で講師を務める。同校は半年程で閉校になった。なお、当時近藤喜文が在学しており、大塚の講義を受けている。
12/06 「長靴をはいた猫」の制作中に東映動画を退社し、Aプロダクションに移籍。
1969 03/18 映画「長靴をはいた猫」(矢吹公郎演出)公開。魔王ルシファの城を舞台とした物語後半の原画を、宮崎駿と共に多数担当した。
05/13 ルパン三世」のパイロットフィルム(シネマスコープ版)が完成。劇場用長編として企画された同作であるが、東宝が買いしぶったために企画が頓挫する。大塚は原画を担当。
07/20 映画「空飛ぶゆうれい船」(池田宏演出)公開。原画を手伝う。
10/05 TVシリーズ「ムーミン」放映開始。第1話から第26話までの作画監督を務める。
月日 大塚康生の軌跡(1970年代
1970   TVシリーズ「巨人の星」のオープニング作画を担当。原画も手伝う(話数不明)。
09 模型雑誌「ホビージャパン」(ホビージャパン刊)の創刊号から軍用トラック模型に関する記事を連載。
1971 03/20 映画「どうぶつ宝島」(池田宏演出)公開。原画を手伝う。
08 模型雑誌「ホビージャパン」において、「Jeep Jeep Jeep」の連載を開始。1971年9月号から1972年9月号まで。
  TVシリーズ「天才バカボン」のパイロットフィルム兼第1話(放映順・第16回B)『スキーがなくてもヤッホーなのだ』の原画を担当。
10/24 TVシリーズ「ルパン三世」放映開始。全23話の作画監督を務める。
1972   TVシリーズ「ど根性ガエル」の原画を担当。話数は不明。
11 模型雑誌「ホビージャパン」において、「これからが出番!ミリタリー・ヴィークルの魅力」の連載を開始。1972年12月号から1973年8月号まで。
12/17 映画「パンダコパンダ」(高畑勲演出)公開。小田部羊一と共同で作画監督を務め、原画も担当。
1973 03/17 映画「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」(高畑勲演出)公開。小田部羊一と共同で作画監督を務め、原画も担当。
10/07 TVシリーズ「侍ジャイアンツ」放映開始。全46話の作画監督を務める。
1974 03 模型雑誌「タミヤニュース」(タミヤ模型刊)において、「JEEP COMBAT CUSTOM」の連載を開始。1974年3月号から7月号まで。
1975   TVシリーズ「ガンバの冒険」の原画を担当。話数は不明。
03 模型雑誌「ホビージャパン」において、「決定版ソフト・スキン写真集」の連載を開始。1975年4月号から8月号まで。
08 模型雑誌「ホビージャパン」において、「米海兵隊水陸両用車輌博物館訪問記」の連載を開始。1975年9月号から12月号まで。
12 模型雑誌「ホビージャパン」において、「未発表写真集 ヨーロッパのカナダAFC」の連載を開始。1975年12月号から1976年7月号まで。
1976   TVシリーズ「母をたずねて三千里」の原画を1本手伝う。
03 模型雑誌「タミヤニュース」において、「イギリスが誇る小型四輪駆動車ランドローバー小史」の連載を開始。1976年3月号から7月号まで。
06 模型雑誌「ホビージャパン」において、「第二次大戦・イギリスの装甲車」の連載を開始。1976年7月号から1977年4月号まで。
09/09 Aプロダクションがシンエイ動画へと改組、引き続き同社に所属。
1977 04/23 雪印乳業のPR映画「草原の子テングリ」完成。初の演出を務める。作画監督、原画も担当。
宮崎駿がレイアウトの3分の1程度を、小田部羊一、奥山玲子が多くの原画を手伝う。
  TVシリーズ「おれは鉄兵」のレイアウトを担当。
  宮崎駿が自身の初演出作品「コナンとラナ」(仮題)の作画監督を大塚に依頼。これを承諾し、日本アニメーションに出向する形で同作の制作に参加する。
1978 01 模型雑誌「ホビージャパン」において、「AFV写真集」の連載を開始。1978年2月号から5月号まで。
04/04 TVシリーズ「未来少年コナン」(宮崎駿演出)放映開始。全26話の作画監督を務め、宮崎駿と共同でキャラクターデザインを担当。
11 東京ムービー社長である藤岡豊より、劇場版「ルパン三世」第2作への制作参加を打診される。すでに新番組「ドラえもん」のスタッフに内定していたが、これを辞退してシンエイ動画を退社し、藤岡が新設したテレコム・アニメーションフィルムに移籍。
12/16 映画「ルパン三世 ルパンVS複製人間」(吉川惣司監督)公開。監修を務める。
1979 04 模型雑誌「ホビージャパン」において、「アメリカ軍用オフローダー」の連載を開始。1979年5月号から7月号まで。
  宮崎駿が劇場版「ルパン三世」第2作の演出に名乗りを上げる。大塚はこれを快諾し、宮崎は6月にテレコムに移籍。
12/15 映画「ルパン三世 カリオストロの城」(宮崎駿監督)公開。作画監督を務める。
月日 大塚康生の軌跡(1980年代
1980   徳間書店「月刊アニメージュ」編集部の鈴木敏夫の依頼を受け、同誌に「作画汗まみれ」を連載。1980年3月号から1982年2月号まで。
  テレコムの劇場用長編の第2作に「じゃりン子チエ」が決定し、藤岡は演出に高畑勲を指名。これを受け、大塚が高畑を招聘する。
1981 04/11 映画「じゃりン子チエ」(高畑勲監督)公開。小田部羊一と共に作画監督を務める。
06/08 TV「姿三四郎」(三家本恭美演出)放映。原画を手伝う。
08/16 TV「花王名人劇場 東海道四谷怪談」放映。「鈴木一」名義で演出を務める。
11 名探偵ホームズ」の制作が開始される。しかし、著作権の関係から中断し、フィルムの完成は4話までだった。
大塚は制作順・第2話の『青い紅玉の巻』の原画を手伝う。
1982 08 日米合作の劇場用長編「リトル・ニモ」制作のため、ロサンゼルスに渡って約1か月の特別講習会に参加する。
12/31 「月刊アニメージュ」の連載に加筆を施した著書「作画汗まみれ」が徳間書店より発行される。
1983 02/01 大塚康生編著の「JEEP JEEP JEEP ウイリスMB、フォードGPW写真集」がホビージャパンより発行される。
1984 08/08 「リトル・ニモ」制作の中断が藤岡により発表される。
10 模型雑誌「月刊モデルグラフィックス」(大日本絵画刊)において、「大塚康生のおもちゃ箱」の連載を開始。1984年11月号(創刊号)から1986年11月号まで。
10 アニメ雑誌「アニメック」(ラポート刊)において、「大塚康生のメカワールド」の連載を開始。1984年11月号から1985年1月号まで。
1987 02/07 実写映画「紅い眼鏡」(押井守監督)公開。タクシーの運転手役としてゲスト出演。
05/30 大塚康生編訳の「軍用ジープ」が徳間書店より発行される。
07/31 「大塚康生16歳の車の画帖 終戦直後の日本の路上にて」が徳間書店より発行される。
12/26 映画「ルパン三世 風魔一族の陰謀」(大関雅幸演出)公開。監修を務める。
1988   「リトル・ニモ」制作が本格的に再開。 
12 模型雑誌「ホビージャパン」において、「ジープ四方山話」の連載を開始。1989年1月号から5月号まで。
1989 03/10 自主発行による軍用自動車研究誌「MILITARY VEHICLE JOURNAL」を創刊。
  07/15 映画「NEMO/ニモ」(「リトル・ニモ」より改題、波多正美、ウィリアム・T・ハーツ監督)公開。ストーリーボードと原画を担当。
月日 大塚康生の軌跡(1990年代
1990 02/24 映画「おじさん改造講座」(芝山努監督)公開。原画を担当。
1991 07 代々木アニメ−ション学院アニメーター科の顧問講師に就任する。
11 自動車雑誌「NAVI」(二玄社刊)において、「MY FAVORITE VEHICLES」の連載を開始。1991年12月号から1993年6月号まで。
1992 01/17 わたせたいぞう氏との共著「イラストレーターの仕事 アニメーターの仕事」がダイヤモンド社より発行される。
03/29 アニドウが「もりやすじのアニメーション世界を語る」と題したトークショーを開催。ゲストとして出席。
1994   テレコムを定年退社。
08/10 自身の著書「ジープ・太平洋の旅」がホビージャパンより発行される。
11/21 「ルパン三世」の面々が登場するESSOのCMの制作のため、ロサンゼルスに渡る。12月9日まで滞在。
1995   テレビCM「ESSO/ルパン三世篇」放映。作画監修を務める。
1996 08/04 同人誌「大塚康生氏アニメーター生活40周年記念誌 大塚康生さんと語る」が発行される。
11/25 同人誌「大塚康生さんのおもちゃ箱」を編集し、自主発行する。
1997 05/03 東京都杉並区阿佐ヶ谷の「COMIC BOXギャラリー」にて「大塚康生のおもちゃ箱展」を開催。6月1日まで。
08/30 パーフェクTV!にて放映された「アニメの歴史を創った男 大塚康生のおもちゃ箱」に出演。
1998 11/26 NHK教育にて放映された「ETV特集 アニメーションの昭和史」の第2夜「ブームはこうしてはじまった」に出演。
月日 大塚康生の軌跡(2000年代
2000 02/27 滋賀県立近代美術館で開催された「アニメ・カルチャー展」にて講演を行う。演題は「日本のアニメに期待すること」。
2001 04 テレコム・アニメーションフィルムのアニメーター養成講座「アニメ塾」の塾長に就任。
04/28 神奈川テレビで放映された「Anime TV」に出演。
05/11 NHK BS2にて放映された「金曜アニメ館」に出演。
05/31 自身の著書「作画汗まみれ 増補改訂版」が徳間書店より発行される。
10/01 「三鷹の森ジブリ美術館」が開館し、同館の評議員に就任。
2002 01/14 ホリデードキュメント「アニメ界の機関士・大塚康生〜動きにとりつかれた男の人生」がテレビ東京系にて放映される。
03/24 杉並区立郷土博物館で開催された「人気アニメはこうして生まれた−東京ムービー阿佐ヶ谷時代−」にて講演を行う。
演題は「ルパン三世について」。
04/30 「Disney Animation The Illusion of Life 生命を吹き込む魔法」が徳間書店より発行される。高畑勲らと共に日本語版監修を務める。
07/10 自身の著書「ジープが町にやってきた 終戦時14歳の画帖から」が平凡社より発行される。
07/17 東京・銀座のギャラリー悠玄にて「大塚康生 原画展」を開催。7月28日まで。
2003 01/10 スタジオジブリが月刊誌「熱風」を創刊。同誌において、「プロデューサーの夢-藤岡豊さんのこと-」の連載を開始。2003年1月号から12月号まで。
03/14 双葉社発行の季刊誌「ルパン三世officialマガジン」のWEEKLY漫画アクション4月14日増刊号にて、描き下ろしの漫画「ある雨の日の午後」(前編)を発表。
07/18 双葉社発行の季刊誌「ルパン三世officialマガジン」のWEEKLY漫画アクション8月18日増刊号にて、描き下ろしの漫画「ある雨の日の午後」(後編)を発表。
2004 07/15 東京都現代美術館において企画展示「日本漫画映画の全貌」が開催され、監修を務める。期間は8月31日までで、8月14日には高畑勲と共にトークショーに参加。 
07/23 DVD「大塚康生の動かす喜び」がブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント(現ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント)より発売される。
07/31 「熱風」に連載されていた「プロデューサーの夢-藤岡豊さんのこと-」が、「リトル・ニモの野望」として徳間書店より発行される。
2005 06/27 NHK BSにて「BSアニメ夜話」第4弾の第1夜「未来少年コナン」放映。特別ゲストとして出演。
2006 02/10 森遊机氏のインタビュー取材をまとめた共著書「大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽」が実業之日本社より発行される。
07/04 TVシリーズ「無敵看板娘」がチバテレビで放映開始(製作・幹事局のよみうりテレビ系では7月24日から放映開始)。
エンディングアニメーションを担当。
07/29 共著書「王と鳥 スタジオジブリの原点」が大月書店より発行される。
2007 07/27 TV「ルパン三世 霧のエリューシヴ」(増田敏彦監督)放映。アイキャッチを製作。
12/21 「草原の子テングリ」のDVDがジェネオンエンタテインメントより発売。大塚自身が出演したインタビューやメイキングも同DVDに収録。
2008 01/10
01/17
学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻のカリキュラムの一環として、高畑勲と共に2週連続で講演会を開く。演題は「線で捉え、描き、動かす〜セル・アニメーション映画における身体表現」。
02/04 大塚が塾長を務めるテレコムの「アニメ塾」の受講内容がリニューアルされ、講座名も「アニメ塾EX」に変更。
03/29 「東京アニメフェア2008」の一環として開催された「第7回東京アニメアワード」において「特別功労賞」を受賞。 

太字…大塚康生が実制作に携わったアニメーション作品
赤太字…大塚康生がメインスタッフ(作画監督、演出等)として制作に参加したアニメーション作品
赤字…大塚康生がメインスタッフ(作画監督、演出等)として制作に参加したアニメーション作品のサブタイトル
青太字…大塚康生が原作あるいは著作のアニメーション以外の作品
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