●生誕−1970年代 |
●1980年代 |
●1990年代 |
●2000年代 |
●2010年代 |
年 | 月日 | 鈴木敏夫の軌跡(生誕−1970年代) |
1948 | 08/19 | 愛知県名古屋市に生まれる。両親は既製服の製造販売業を営んでいた。長男で、妹がいる。 |
1961 | 04 | 中高一貫制の東海中学校に入学。 中学時代は体操部に所属。同級生に衆議院議員の赤松広隆氏がいた。 |
1964 | 04 | 東海高校に進学。 |
1967 | 04 | 慶応大学文学部に入学。社会・心理・教育学科の社会学を専攻。 |
在学中は家庭教師や「子ども調査研究所」など、30種類以上のアルバイトを経験。アルバイトに明け暮れる生活を送っていた。 | ||
1972 | 04 | 徳間書店に入社。「週刊アサヒ芸能」企画部に配属される。漫画のページを担当した際、憧れの漫画家・杉浦茂に会う。 |
1973 | 03 | 「アサヒ芸能」別冊のコミック誌「コミック&コミック」の編集を担当。東映の映画監督に原作漫画の執筆を依頼。 手塚治虫、石森彰太郎、上村一夫、ジョージ秋山、長谷川法世などの漫画家と親しくなる。 |
「コミック&コミック」休刊後、「週刊アサヒ芸能」特集部に配属。暴走族や特攻隊などの記事を執筆。 | ||
1975 | 10 | 「月刊テレビランド」を編集する児童少年編集部に自ら志願して異動。 |
1977 | 09/20 | 空前のアニメブームの中、「月刊テレビランド」の増刊「ロマンアルバム 宇宙戦艦ヤマト」が40万部を記録。 これが契機となり、徳間書店がアニメ専門雑誌の創刊を許可。誌名は初代編集長・尾形英夫の命名で「アニメージュ」に決定。 |
1978 | 05 | 「アニメージュ」創刊号の特集のため、高畑勲、宮崎駿に取材を申し込む。しかし、2人とも取材を拒否する。 |
05/26 | 「月刊アニメージュ」創刊。 創刊号より編集を担当。 | |
年 | 月日 | 鈴木敏夫の軌跡(1980年代) |
1980 | 03 | 「月刊アニメージュ」のデスクに就任。 |
1981 | 03 | 「月刊アニメージュ」3月号より大塚康生が自叙伝「作画汗まみれ」を連載。鈴木は大塚に連載を打診し、「作画汗まみれ」というタイトルを考案。当時鈴木はテレコム・アニメーションフィルムに通っており、大塚の同僚であった宮崎駿とも親交を深めることとなる。 |
07 | 宮崎駿と共に「戦国魔城」の映画化を企画。徳間書店の社内映像会議に制作案を提出するも、不採用に終わる。同会議に出席していた大映の社員に、原作の無い作品の映画化は困難だと指摘され、これが後に「風の谷のナウシカ」の連載に繋がっていく。 | |
08 | 「月刊アニメージュ」8月号において、宮崎駿の大特集を組む。 | |
1982 | 02 | 「月刊アニメージュ」2月号より、宮崎駿が漫画「風の谷のナウシカ」を連載。鈴木は連載の実現に尽力する。 |
「月刊アニメージュ」の副編集長に就任。 | ||
12 | 「風の谷のナウシカ」の映画化が決定。鈴木は上司の尾形英夫、同僚の亀山修らと共に映画化の実現に尽力する。 | |
1983 | 「風の谷のナウシカ」の制作が始まると、昼は制作拠点のトップクラフト、夜は徳間書店で編集作業と多忙を極める。 | |
1984 | 03/11 | 映画「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督)公開。「風の谷のナウシカ」製作委員会に名を連ねる。 |
1985 | 04/27 | 映画「戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人(エトランゼ)」(湯山邦彦監督)公開。出版プロデューサーを担当。 |
06/15 | 東京都武蔵野市吉祥寺に株式会社スタジオジブリが設立される。 | |
12/15 | OVA「天使のたまご」(押井守監督)発売。鈴木は同作品のアニメーション化に尽力。押井守との親交もこれがきっかけとなった。 | |
1986 | 08/02 | 映画「天空の城ラピュタ」(宮崎駿監督)公開。「天空の城ラピュタ」製作委員会に名を連ねる。 |
10 | 「月刊アニメージュ」の編集長に就任。 | |
1987 | 02/07 | 実写映画「紅い眼鏡」(押井守監督)公開。製作協力を担当。 |
03/27 | 映画「デジタル・デビル物語 女神転生」(西久保瑞穂監督)公開。加藤長輝と共同でプロデューサーを務める。 | |
1988 | 04/16 | 映画「となりのトトロ」(宮崎駿監督)公開。「となりのトトロ」製作委員会に名を連ねる。宮崎が提示した「となりのトトロ」の映画化が徳間書店上層部の了解を得られなかったため、「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の2本立てを提案し、その実現に尽力する。 |
1989 | 07/29 | 映画「魔女の宅急便」(宮崎駿監督)公開。プロデューサー補佐を担当。日本テレビが製作途中で出資に合意し、番組を使って大々的なPRを行なったことで、興行成績が飛躍的に伸びる。 |
10 | スタジオジブリへ出向。同社の専従となり、製作部長に就任。 | |
年 | 月日 | 鈴木敏夫の軌跡(1990年代) |
1990 | 11 | 徳間書店を退社。 |
12 | スタジオジブリの所属となり、同社の取締役に就任。 | |
07/11 | 「おもひでぽろぽろ」制作のために山形で行われたロケハンに同行する。 | |
1991 | 07/20 | 映画「おもひでぽろぽろ」(高畑勲監督)公開。プロデューサーを務める。 |
経営方針の対立により退社した原徹の後を受け、スタジオジブリの常務に就任。 | ||
1992 | 05 | 「おもひでぽろぽろ」製作の功績が認められ、第11回藤本賞・特別賞を受賞。藤本賞は、映画製作において優れた活躍をしたプロデューサーに贈られる。尚、この時藤本賞を受賞したのは、原徹である。 |
07/18 | 映画「紅の豚」(宮崎駿監督)公開。プロデューサーを務める。 | |
08/06 | 東京都小金井市にスタジオジブリの新社屋が完成。 | |
11/23 | TVスポット「そらいろのたね」が日本テレビ系で放映開始。プロデューサーを務める。 | |
1993 | 04/10 | 映画「夢を追いかけて」(小中和哉監督)公開。雑誌編集長役で出演。 |
05/05 | TV「海がきこえる」(望月智充監督)が日本テレビ系で放映。奥田誠治と共同で企画を担当。 | |
1994 | 07/16 | 映画「総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ」(高畑勲監督)公開。プロデューサーを務める。 |
1995 | 07/15 | 映画「耳をすませば」(近藤喜文監督)、プロモーションフィルム「On Your Mark」(宮崎駿監督)が同時上映される。 両作品においてプロデューサーを務める。 |
12 | スタジオジブリの常務取締役に就任。 | |
1996 | 07 | 徳間グループがウォルト・ディズニー・カンパニーとの業務提携を発表。同社傘下のブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント(現ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント)がスタジオジブリ作品の映像ソフトの販売権を得る。 鈴木は提携の条件として「もののけ姫」の世界配給を提示し、これを受け入れさせる。 |
1997 | 06/01 | スタジオジブリが徳間書店に吸収合併され、「株式会社徳間書店スタジオジブリ・カンパニー」となる。 これにより、徳間書店の取締役、スタジオジブリ事業本部長に就任。 |
07/12 | 映画「もののけ姫」(宮崎駿監督)公開。プロデューサーを務める。 | |
11 | 第14回山路ふみ子文化賞を受賞。 | |
1998 | 06 | 「もののけ姫」製作の功績が認められ、第17回藤本賞を受賞。 |
1999 | 07/17 | 映画「ホーホケキョ となりの山田くん」(高畑勲監督)公開。プロデューサーを務める。 |
10 | 徳間書店がカンパニー制から事業部制に切り換えたことに伴い、徳間書店取締役スタジオジブリ事業本部長に就任。 | |
年 | 月日 | 鈴木敏夫の軌跡(2000年代) |
2000 | 04/08 | TV「ギブリーズ」(百瀬義行監督)が日本テレビ系で放映。キャラクター原案を担当。 |
09 | 徳間康快社長が死去。徳間書店常務取締役スタジオジブリ事業本部長に就任。 | |
12/07 | 実写映画「式日」(庵野秀明監督)公開。製作を担当。 | |
2001 | 02/16 | 映画「リセス ぼくらの夏休みを守れ!」(チャック・シーツ監督)が全米で公開。製作を担当。 |
03/17 | 実写映画「サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS」(本広克行監督)公開。製作を担当。 | |
07/20 | 映画「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)公開。プロデューサーを務める。 | |
09 | 財団法人徳間記念アニメーション文化財団を設立し、同財団の理事に就任。 | |
10/01 | 「三鷹の森ジブリ美術館」開館。映像展示室「土星座」にて「くじらとり」(宮崎駿監督)上映開始。製作プロデューサーを務める。 | |
2002 | 01/03 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「コロの大さんぽ」(宮崎駿監督)上映開始。製作プロデューサーを務める。 |
02/06 | 「Digital Contents of the Year ‘01/第7回 AMD アワード」にて功労賞を受賞。 | |
2002年度エランドール賞プロデューサー賞を受賞。 | ||
05 | 「千と千尋の神隠し」製作の功績が認められ、第21回藤本賞を受賞。 | |
07/20 | 映画「猫の恩返し」(森田宏幸監督)、「ギブリーズ episode2」(百瀬義行監督)が同時上映される。 両作品において高橋望と共同で製作プロデューサーを務める。「ギブリーズ episode2」ではキャラクター原案も担当。 |
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09/29 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「めいとこねこバス」(宮崎駿監督)上映開始。製作プロデューサーを務める。 | |
10/02 | 三鷹の森ジブリ美術館にて企画展「天空の城ラピュタと空想科学の機会達展」が開始。 短編「空想の空とぶ機械達」(宮崎駿監督)、「オーニソプター物語〜飛べ!ひよどり天狗号」(浦谷年良構成・演出)、「空想の機械達の中の破壊の文明」(庵野秀明監督)が上映開始。3本ともプロデューサーを務める。 |
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11 | 第1回イノベーター大賞を受賞。 | |
2003 | 03/23 | 「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞長編アニメーション賞を受賞。鈴木は宮崎に代わり記者会見を開く。 |
06/14 | 実写映画「KILLERS キラーズ」公開。その中の一編『.50 Woman』(押井守監督)に映画プロデューサー役で出演。 | |
2004 | 03/06 | 映画「イノセンス」(押井守監督)公開。プロデューサーを務める。 |
04 | 東京大学大学院情報学環「コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム」の特任教授に就任する。 | |
11/10 | 梶山寿子著「ジブリマジック―鈴木敏夫の「創網力」―」が講談社より発行される。 | |
11/20 | 映画「ハウルの動く城」(宮崎駿監督)公開。プロデューサーを務める。 | |
2005 | 04/01 | スタジオジブリが徳間書店の傘下から独立し、「株式会社スタジオジブリ」発足。鈴木敏夫は代表取締役社長に就任。 |
04/11 | 自身の著書「映画道楽」がぴあより発行される。 | |
06 | 宮崎駿とともにアーシュラ・K.ル=グウィン宅を訪問し、同氏原作「ゲド戦記」の映画化の承認を得る。 | |
2006 | 01/03 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「星をかった日」、「やどさがし」、「水グモもんもん」(いずれも宮崎駿監督)の上映開始。 3本ともプロデューサーを務める。 |
04/06 | NHKの情報番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」にて鈴木の特集が放映される。 | |
04/08 | 実写映画「立喰師列伝」(押井守監督)公開。冷やしタヌキの政役で出演。 | |
07/29 | 映画「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督)公開。プロデューサーを務める。 | |
2007 | 03 | 第2回渡辺晋賞を受賞。 |
10/07 | 自身が初めてラジオパーソナリティーを務めるラジオ番組「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」がTOKYO FMにて放送開始。 尚、放送開始時は番組タイトルが決まっていなかった。 |
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11/10 | 実写映画「真・女立喰師列伝」(押井守総監修)公開。タイトル題字を担当。また、同作品の一編『金魚姫 鼈甲飴の有理』(押井守監督)に「戦後思想」編集長役で出演し、カメラマン・坂崎一の声も担当。 | |
2008 | 02/01 | スタジオジブリの社長を退任し、代表取締役プロデューサーに就任。 |
07/19 | 映画「崖の上のポニョ」(宮崎駿監督)公開。プロデューサーを務める。 | |
年 | 月日 | 鈴木敏夫の軌跡(2010年代) |
2010 | 01/03 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「ちゅうずもう」(山下明彦監督)上映開始。プロデューサーを務める。 |
03 | 自身がキャラクターデザインした猫「コニャラ」が登場する日清製粉グループのCMが放映開始。 | |
07/17 | 映画「借りぐらしのアリエッティ」(米林宏昌監督)公開。プロデューサーを務める。 | |
11/20 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「パン種とタマゴ姫」(宮崎駿監督)上映開始。プロデューサーを務める。 | |
2011 | 06/04 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「たからさがし」(宮崎駿企画・構成)上映開始。プロデューサーを務める。 |
07/16 | 映画「コクリコ坂から」(宮崎吾朗監督)公開。プロデューサーを務める。 | |
2012 | 06 | アメリカのロード・アイランド・スクール・オブ・デザインより、高畑勲、宮崎駿とともに名誉博士号を授与される。 |
07/10 | 特撮映画「巨神兵東京に現わる」(樋口真嗣監督)公開。庵野秀明とともに製作を担当。 | |
2013 | 07/20 | 映画「風立ちぬ」(宮崎駿監督)公開。プロデューサーを務める。 |
11/16 | 映画「夢と狂気の王国」(砂田麻美監督)に出演する。 | |
11/23 | 映画「かぐや姫の物語」(高畑勲監督)公開。企画を担当。 | |
11 | 第58回映画の日特別功労章を受章。 | |
2014 | 03/19 | 第64回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。 |
05 | 第2回全広連日本宣伝賞正力賞を受賞。 | |
07/19 | 映画「思い出のマーニー」(米林宏昌監督)公開。製作を担当。 | |
11/20 | "GQ MEN OF THE YEAR 2014"を受賞。 | |
2015 | 03/16 | 「Digital Contents of the Year ‘14/第20回 AMD アワード」にて20周年記念特別賞を受賞。 |
2016 | 05/20 | 実写映画「ガルム・ウォーズ」(押井守監督)公開。日本語版プロデューサーを担当。 |
09/17 | 映画「レッドタートル ある島の物語」(マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督)公開。プロデューサーを務める。 |
※太字…鈴木敏夫がプロデューサー以外の形で参加したアニメーション作品 ※赤太字…鈴木敏夫がプロデューサーを務めたアニメーション作品 ※赤字…鈴木敏夫がプロデューサーを務めたアニメーション作品のサブタイトル ※青太字…鈴木敏夫が参加したアニメーション以外の作品 |