●生誕−1960年代 |
●1970年代 |
●1980年代 |
●1990年代 |
●2000年代−死没 |
年 | 月日 | 保田道世の軌跡(生誕−1960年代) |
1939 | 04/28 | 姉と兄、弟3人の6人兄弟の次女として、東京・東中野に生まれる。 |
1955 | 04 | 都立石神井高校に入学。 |
高校時代は文学部と社会研究会に所属。 | ||
1958 | 04 | 東映動画に社員一期生として入社。 当時の東映動画は長編製作部とCM製作部に分かれていて、保田はCM製作部の仕上に配属される。 |
1963 | 入社後、テレビCMの彩色やトレースを担当する。しかし、5〜6年経った頃、不況によりCMの依頼が減少し、CM製作部の仕上が解散。 | |
新設された仕上課のテレビアニメーションに異動し、TVシリーズ「狼少年ケン」のトレースを担当。 | ||
1964 | 組合の書記に就任。同時期、高畑勲が副委員長に、宮崎駿が書記長に就任しており、組合活動を通じて彼らとの親交を深める。 | |
1965 | CM製作部に再び仕上が必要となり、そちらに復帰。 | |
1966 | 再びCM製作部の仕上が解散。周囲が仕上課に異動する中、保田は高畑勲演出の「太陽の王子」の制作に参加。 | |
10/14 | 制作スケジュール遅延のため、会社側から「太陽の王子」の制作中断が発表される。 | |
1967 | 01/17 | 太陽の王子」の制作が再開される。 |
1968 | 03/19 | 「太陽の王子」が完成し、初号試写が行われる。 |
07/21 | 映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(高畑勲演出)公開。トレースを担当。クレジットの表示は無し。 | |
「長靴をはいた猫」の制作終了後、東映動画を退社。 | ||
1969 | 02 | Aプロダクションに移籍。 |
03/18 | 映画「長靴をはいた猫」(矢吹公郎演出)公開。トレースを担当。 | |
06 | 同僚で9歳年下のアニメーター・松下幹夫と同棲を始める。現在も一緒に暮らしているが、入籍はしていない。 | |
TVシリーズ「ムーミン」のトレースを担当。 | ||
年 | 月日 | 保田道世の軌跡(1970年代) |
1970 | 第27話から「ムーミン」の製作が東京ムービーから虫プロダクションに変更。そのため、TVシリーズ「巨人の星」のトレースを担当。 | |
1971 | 09/10 | 高畑勲、宮崎駿らが東映動画からAプロダクションに移籍。「長靴下のピッピ」の制作に取り掛かるが、企画が頓挫し、TVシリーズ「ルパン三世」をシリーズ途中から共同で演出。保田は同作品の仕上げを担当。 |
1972 | TVシリーズ「ど根性ガエル」のトレースを担当。 | |
12/17 | 映画「パンダコパンダ」(高畑勲演出)公開。仕上を担当。 | |
1973 | 03/17 | 映画「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」(高畑勲演出)公開。仕上を担当。 |
05 | Aプロダクションに労働組合が結成される。保田は9月まで副委員長を務める。 | |
1974 | 04 | Aプロダクションを退社し、ズイヨー映像に移籍。 |
TVシリーズ「アルプスの少女ハイジ」(高畑勲演出)の制作に途中から参加。仕上検査を担当。 | ||
TVシリーズ「小さなバイキングビッケ」の仕上検査を担当。 | ||
1975 | TVシリーズ「フランダースの犬」(黒田昌郎演出)の仕上検査を担当。 | |
06/03 | ズイヨー映像が日本アニメーションへと独立改組され、引き続き同社の所属となる。 | |
1976 | 01/04 | TVシリーズ「母をたずねて三千里」(高畑勲演出)放映開始。仕上検査を担当。 クレジットには表示されてないが、それまで美術監督の仕事だった色彩設計や色指定を初めて本格的に担当した。 |
1977 | TVシリーズ「シートン動物記 くまの子ジャッキー」の仕上検査を担当。 | |
1978 | 04/04 | TVシリーズ「未来少年コナン」(宮崎駿演出)放映開始。色指定、検査を担当。初めて色指定、色彩設計を全て1人で担当した。 |
1979 | 01/07 | TVシリーズ「赤毛のアン」(高畑勲演出)放映開始。仕上検査を担当。クレジットには表示されてないが、色指定、色彩設計も担当。 |
年 | 月日 | 保田道世の軌跡(1980年代) |
1981 | 04/11 | TVシリーズ「フーセンのドラ太郎」(楠葉宏三演出)放映開始。色指定を担当。 |
1982 | 01/10 | TVシリーズ「南の虹のルーシー」(斎藤博監督)放映開始。色指定を担当。 |
1983 | 04/03 | TVシリーズ「ミームいろいろ夢の旅」(横田和善監督)放映開始。色指定を担当。 |
夏頃、高畑勲から「風の谷のナウシカ」制作への参加を打診される。悩んだ末、日本アニメーションを辞めずに、「ミームいろいろ夢の旅」と「風の谷のナウシカ」を掛け持ちすることとなった。 | ||
09/01 | 「風の谷のナウシカ」制作のため、東京・阿佐ヶ谷のトップクラフトに通い始める。 | |
1984 | 03/11 | 映画「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督)公開。鈴木福男と共同で色指定を担当。 |
1985 | 日本アニメーションを退社。 | |
宮崎駿から「天使のたまご」制作への参加を勧められ、これを承諾。 | ||
11 | スタジオジブリと契約し、「天空の城ラピュタ」の制作へ参加。 | |
12/15 | OVA「天使のたまご」(押井守監督)発売。色指定を担当。 | |
1986 | 08/02 | 映画「天空の城ラピュタ」(宮崎駿監督)公開。色指定を担当。 |
1987 | 高畑勲から「火垂るの墓」制作への参加を、宮崎駿から「となりのトトロ」制作への参加を打診される。保田は両者を引き受け、「火垂るの墓」の制作をメインにしつつ、「となりのトトロ」の仕上も担当することとなった。 | |
04/02 | 「新文化映画 柳川堀割物語」(高畑勲監督)完成。アニメーションパートの色指定を担当。 | |
11/01 | OVA「デビルマン 誕生編」(飯田つとむ監督)発売。色指定を担当。 | |
1988 | 04/16 | 映画「となりのトトロ」(宮崎駿監督)、映画「火垂るの墓」(高畑勲監督)が同時上映される。それぞれ仕上、色彩設計を担当。 この2作品で保田は、トレースマシンに茶カーボンを導入し、絵の具の新色も作成する。 「火垂るの墓」は制作遅延のため一部シーンの彩色が施されないままでの公開となり、公開後も彩色作業に追われることとなった。 |
1989 | 07/29 | 映画「魔女の宅急便」(宮崎駿監督)公開。色彩設計を担当。 |
スタッフの社員化により、スタジオジブリの社員となる。 | ||
年 | 月日 | 保田道世の軌跡(1990年代) |
1990 | 07/11 | 「おもひでぽろぽろ」制作のために山形で行われたロケハンに同行する。 |
1991 | 07/20 | 映画「おもひでぽろぽろ」(高畑勲監督)公開。キャラクター色彩設計を担当。 |
この年から2年間、夏と冬の講習期間に「代々木アニメーション専門学校」の講師を務める。 | ||
1992 | 07/18 | 映画「紅の豚」(宮崎駿監督)公開。色彩チーフを務める。当初、若手の女性スタッフが色彩設計を1人で担当していたが、制作過程で同作品の構想が膨らんで負担が大きくなったため、保田が色彩チーフとして色彩設計や仕上作業を取り仕切ることとなった。 |
11/23 | TVスポット「そらいろのたね」(宮崎駿監督)が日本テレビ系で放映開始。キャラクター色彩設計を担当。 | |
1994 | 07/16 | 映画「おもひでぽろぽろ」(高畑勲監督)公開。キャラクター色彩設計、仕上監督を務める。 |
1995 | 07/15 | 映画「耳をすませば」(近藤喜文監督)、プロモーションフィルム「On Your Mark」(宮崎駿監督)が同時上映される。 両作品においてキャラクター色彩設計を担当。 |
09/01 | 「もののけ姫」の制作に入る。この作品から、コンピューター上で彩色を施すデジタルペイントが導入された。 | |
1997 | 06/30 | 共著書「アニメーションの色職人」が徳間書店より発行される。 |
07/12 | 映画「もののけ姫」(宮崎駿監督)公開。色彩設計を担当。 | |
1999 | 07/17 | 映画「ホーホケキョ となりの山田くん」(高畑勲監督)公開。彩画監督を務める。初のフルデジタルペイント作品となった。 |
年 | 月日 | 保田道世の軌跡(2000年代−死没) |
2001 | 07/20 | 映画「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)公開。色彩設計を担当。 |
10/01 | 「三鷹の森ジブリ美術館」開館。映像展示室「土星座」にて「くじらとり」(宮崎駿監督)上映開始。色彩監修を担当。 常設展示「フィルムぐるぐる 華麗なる舞踏会/ランプータンの冒険/魚の魚」(宮崎駿監督)上映開始。色指定を担当。 |
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2002 | 01/03 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「コロの大さんぽ」(宮崎駿監督)上映開始。色彩監修を担当。 |
07/20 | 映画「ギブリーズ episode2」(百瀬義行監督)公開。色指定チーフを務める。 | |
09/29 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「めいとこねこバス」(宮崎駿監督)上映開始。色彩設計を担当。 | |
10/13 | テレビ朝日系列にて「北野武と色彩の魔術師たち」放映。保田が特集される。 | |
11/27 | 三鷹の森ジブリ美術館の常設展示「フィルムぐるぐる タコレーター/ぴよぴよバーバ/ぼうぼう君」(宮崎駿監督)上映開始。 色指定を担当。 |
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2004 | 11/20 | 映画「ハウルの動く城」(宮崎駿監督)公開。色彩設計を担当。 |
2006 | 01/03 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「星をかった日」、「やどさがし」、「水グモもんもん」(いずれも宮崎駿監督)の上映開始。 3本とも色彩設計を担当。 |
07/29 | 映画「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督)公開。高桝加奈子、沼畑富美子と共同で色彩設計を担当。 | |
2007 | 03/27 | NHKの情報番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」にて宮崎駿の特集が放映される。保田も番組終盤にインタビューを受ける。 |
04/18 | 三鷹の森ジブリ美術館の常設展示「フィルムぐるぐる マダラン界」(宮崎駿監督)上映開始。色指定を担当。 | |
2008 | 07/19 | 映画「崖の上のポニョ」(宮崎駿監督)公開。色彩設計を担当。 |
12 | 現役を引退。 | |
2010 | 11/20 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「パン種とタマゴ姫」(宮崎駿監督)公開。同作で現役復帰し、色彩設計を担当。 |
2011 | 06/04 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「たからさがし」(宮崎駿企画・構成)公開。色彩協力を担当。 |
2012 | 04/13 | 第21回日本映画批評家大賞にてアニメーション功労賞を受賞。 |
2013 | 07/20 | 映画「風立ちぬ」(宮崎駿監督)公開。色彩設計を担当。 |
2016 | 10/05 | 病気のため死去。満77歳没。 |
※太字…保田道世が実制作に携わったアニメーション作品 ※赤太字…保田道世がメインスタッフ(色指定、色彩設計等)として実制作に参加したアニメーション作品 ※赤字…保田道世がメインスタッフ(色指定、色彩設計等)として実制作に参加したアニメーション作のサブタイトル |