●生誕−1950年代 |
●1960年代 |
●1970年代 |
●1980年代 |
●1990年代 |
●2000年代 |
●2010年代 |
年 | 月日 | 小田部羊一の軌跡(生誕−1950年代) |
1936 | 09/15 | 台湾の台北市で生まれる。 |
初めて見たアニメーションは、博物館で上映されていた「ポパイ」(1933年、デイブ・フライシャー監督)。 「くもとちゅうりっぷ」(1943年、政岡憲三演出)や日本初の長編アニメーションである「桃太郎の海鷲」(1943年、瀬尾光世演出)などの作品を見て、アニメーションに惹かれる。 |
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1946 | 敗戦後、一家8人で日本に引き揚げる。奈良から新潟へと転々として、茨城県日立市に落ち着く。 | |
小学生の頃は、「せむしの仔馬」(1947年、イワン・イワノフ=ワノ監督/1949年日本公開)やディズニーの「白雪姫」(1937年、デヴィッド・ハンド監督/1950年日本公開)を見て、感銘を受ける。 | ||
1952 | 東京都小金井市立小金井中学校に転校。 | |
04 | 東京都立武蔵高校に入学。 | |
1955 | 04 | 東京芸術大学日本画科に入学。 |
在学中、日本初のカラー長編アニメーションである「白蛇伝」(1958年、藪下泰司演出)を見て衝撃を受ける。 そして、東映動画の一次募集に応募し、これには落ちたものの、二次募集で合格する。 |
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1959 | 04/02 | 東映動画に入社。同期に高畑勲、池田宏、黒田昌郎、彦根範夫など。 |
12/25 | 映画「少年猿飛佐助」(藪下泰司・大工原章演出)公開。楠部大吉郎の班に入り、動画を担当。 | |
年 | 月日 | 小田部羊一の軌跡(1960年代) |
1960 | 08/14 | 映画「西遊記」(藪下泰司・手塚治虫・白川大作演出)公開。沙悟浄が穴を掘るシーンなどの動画を担当。 |
1961 | 07/19 | 映画「安寿と厨子王丸」(藪下泰司・芹川有吾演出)公開。奥山玲子の班に入り、セカンド原画を担当。 |
1962 | 07/21 | 映画「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」(藪下泰司・黒田昌郎演出)公開。楠部大吉郎の班に入り、セカンド原画を担当。 |
1963 | 03/24 | 映画「わんぱく王子の大蛇退治」(芹川有吾演出)公開。森康二の班の原画補に抜擢される。 |
同僚の奥山玲子と結婚する。 | ||
12/21 | 映画「わんわん忠臣蔵」(白川大作演出)公開。原画を担当。波のシーンの参考にするため、松崎でロケハンを行う。 また、灯台の少女のキャラクター設計も担当。 |
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TVシリーズ「狼少年ケン」の原画と作画監督を担当。話数は不明。 | ||
1964 | TVシリーズ「少年忍者 風のフジ丸」の原画と作画監督を担当。話数は不明。 | |
1965 | TVシリーズ「ハッスルパンチ」の原画と作画監督を担当。話数は不明。 | |
1966 | 04 | 次の長編アニメーション映画「太陽の王子」の作画が開始される。 |
10/14 | 制作遅延のため、「太陽の王子」の制作中断が会社側から発表される。 | |
TVシリーズ「レインボー戦隊ロビン」の第34話『幽霊ホテル』と第44話『ウラガンシティの対決』の作画監督を務める。 | ||
1967 | 01/17 | 「太陽の王子」の制作が再開される。 |
1968 | 03/19 | 「太陽の王子」が完成。初号試写が行われる。 |
TVシリーズ「魔法使いサリー」の原画を1本務める。 | ||
07/21 | 映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(高畑勲演出)公開。船出のシーンや結婚式などの原画を担当。 | |
1969 | 03/18 | 映画「長靴をはいた猫」(矢吹公郎演出)公開。原画を担当。夕陽をバックにペロとピエールが今後について話し合うシーンから、ピエールが魔王ルシファにさらわれたローザ姫を救出に向かうシーンまでの原画を担当。 |
07/20 | 映画「空飛ぶゆうれい船」(池田宏演出)公開。大塚康生が退社したため、急遽代わりに作画監督を務める。 | |
TVシリーズ「ひみつのアッコちゃん」の作画(実質的な原画)を2本担当。 | ||
年 | 月日 | 小田部羊一の軌跡(1970年代) |
1971 | 03/20 | 映画「どうぶつ宝島」(池田宏演出)公開。船出のシーンの原画を担当。 |
07/18 | 映画「アリババと40匹の盗賊」(設楽博演出)公開。原画を担当。 | |
TVシリーズ「さるとびエッちゃん」の作画(実質的な原画)を2本担当。 | ||
09/10 | 高畑勲、宮崎駿と共に東映動画を退社。「長くつ下のピッピ」制作のためAプロダクション(現シンエイ動画)に移籍。 しかし、原作者アストリッド・リンドグレーンの同意が得られず制作中止となる。 |
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1972 | TVシリーズ「赤胴鈴之助」の作画監修、原画、作画監督を担当。 | |
12/17 | 映画「パンダコパンダ」(高畑勲演出)公開。大塚康生と共同で作画監督を務め、原画も担当。 | |
1973 | 03/17 | 映画「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」(高畑勲演出)公開。大塚康生と共同で作画監督を務め、原画も担当。 |
TVシリーズ「荒野の少年イサム」の原画を担当。 | ||
07 | 「アルプスの少女ハイジ」の制作に向けて、高畑勲、宮崎駿とともにスイスとドイツにおいてロケハンを行う。 | |
TVシリーズ「侍ジャイアンツ」の原画を1本担当。 | ||
1974 | 01/06 | TVシリーズ「アルプスの少女ハイジ」(高畑勲演出)放映開始。キャラクターデザインと全52話の作画監督を務める。 高畑が「キャラクターデザイン」という役職名をクレジットに加える。ただし、日本のアニメーションで「キャラクターデザイン」が最初にクレジットに載ったのは1973年放映開始の「ゼロテスター」で、箕輪宗廣が担当している。 |
1975 | TVシリーズ「フランダースの犬」の原画を1本担当。 | |
06/03 | ズイヨー映像が日本アニメーションへと独立改組され、引き続き同社の所属となる。 | |
高畑勲、宮崎駿とともにに「母をたずねて三千里」の準備作業に入る。 しかし、前年の「ハイジ」制作の激務で腰痛を患い、ロケハンには不参加となった。 |
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1976 | 01/04 | TVシリーズ「母をたずねて三千里」放映開始。キャラクターデザインと全52話の作画監督を務める。 |
1977 | TVシリーズ「あらいぐまラスカル」の作画(実質的な原画)を11本担当。 | |
04/23 | PR映画「草原の子テングリ」(大塚康生演出)完成。原画を担当。クレジットの表示は無し。 | |
次の名作劇場である「ペリーヌ物語」(1978年放映)の作画監督を依頼されるが、これを固辞する。 | ||
日本アニメーションを退社し、フリーとなる。 | ||
1978 | TVシリーズ「まんが日本絵巻」のキャラクターデザインを3本、絵コンテを1本、原画を2本担当(「あんていろーぷ」名義)。 | |
宮崎駿演出の「未来少年コナン」と高畑勲演出の「赤毛のアン」の制作参加要請を断り、古巣東映動画の劇場用長編「龍の子太郎」の作画監督に就任。 | ||
1979 | 03/17 | 映画「龍の子太郎」(浦山桐郎監督)公開。キャラクターデザイン、作画監督を担当(奥山玲子と共同)。 |
「セレンディピティ」の準備作業に参加。イメージボードとキャラクターデザインを担当するが、制作は頓挫する。 | ||
年 | 月日 | 小田部羊一の軌跡(1980年代) |
1980 | 大塚康生より「じゃりン子チエ」への制作参加を打診され、快諾する。 | |
1981 | 04/11 | 映画「じゃりン子チエ」(高畑勲監督)公開。大塚康生と共同で作画監督を務める。 |
TVシリーズ「名犬ジョリィ」の原画を担当。話数は不明。 | ||
TVシリーズ「じゃりン子チエ」のキャラクターデザインと第6話『テツと運動靴とマラソン』の作画監督を務める。 | ||
1983 | TVシリーズ「ピュア島の仲間たち」のキャラクターデザインを担当。 | |
TVシリーズ「子鹿物語」の原画と第19話『小さなふたりの大学生』の作画監督を務める。 | ||
1984 | 03/11 | 映画「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督)公開。ナウシカが金色の野に降り立つシーンの原画を担当。 |
07/08 | 映画「パパママバイバイ」(設楽博監督)公開。原画を担当。 | |
1985 | 04 | 東映動画時代の先輩である藪下泰司と森康二が在籍していた東京デザイナー学院アニメーション科の講師に就任。 |
06/22 | 映画「ペンギンズ・メモリー 幸福物語」(木村俊士監督)公開。原画を担当。 | |
12 | 東映動画時代の同僚である池田宏の誘いにより、任天堂に入社。「スーパーマリオ」の開発アドバイザーに就任。 | |
1986 | 05/19 | TV「サンゴ礁伝説 青い海のエルフィ」放映。キャラクターデザインを担当。 |
TVシリーズ「オズの魔法使い」の原画を担当。話数は不明。 | ||
1988 | 04/16 | 映画「火垂るの墓」(高畑勲監督)公開。原画を担当(ノンクレジット)。 |
年 | 月日 | 小田部羊一の軌跡(1990年代) |
1991 | 11/21 | ゲームソフト「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」発売。アートワークを担当。 |
1992 | 03/29 | アニドウが「もりやすじのアニメーション世界を語る」と題したトークショーを開催。ゲストとして出席。 |
04/27 | ゲームソフト「星のカービィ」発売。監修を務める。 | |
08/27 | ゲームソフト「スーパーマリオカート」発売。イラストを担当。 | |
1993 | 06/06 | ゲームソフト「ゼルダの伝説 夢をみる島」発売。アートワークを担当。 |
1996 | 03/09 | ゲームソフト「スーパーマリオRPG」発売。キャラクターアドバイスを担当。 |
1998 | 07/18 | 映画「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」及び「PIKACHU THE MOVIE ”ピカチュウ”のなつやすみ」公開。 以降、毎年夏に公開される「劇場版ポケットモンスター」シリーズには「アニメーション監修」としてクレジットされているが、企画会議やシナリオ会議に出席して意見を言うだけで、現場の制作には参加していない。 |
1999 | 03/21 | ゲームソフト「ポケモンスナップ」発売。キャラクター監修を担当。 |
04/03 | 映画「MARCO 母をたずねて三千里」公開。オリジナルキャラクターを担当。 | |
年 | 月日 | 小田部羊一の軌跡(2000年代) |
2001 | 03/21 | ゲームソフト「くるくるくるりん」発売。キャラクターデザインを担当。 |
11/21 | ゲームソフト「大乱闘スマッシュブラザーズDX」発売。監修を務める。 | |
2003 | 03/21 | ゲームソフト「メイド イン ワリオ」発売。キャラクター監修を担当。 |
10/17 | ゲームソフト「あつまれ!!メイド イン ワリオ」発売。キャラクター監修を担当。 | |
11/21 | ゲームソフト「マリオ&ルイージRPG」発売。イラスト監修を担当。 | |
12/13 | 映画「冬の日」(川本喜八郎監督)公開。初裏五句・芭蕉の短編アニメーションを奥山玲子と共同で制作。 小田部は原画と動画の作業を担当。 |
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2004 | 06/10 | ゲームソフト「マリオvs.ドンキーコング」発売。美術監修を担当。 |
07/22 | ゲームソフト「ペーパーマリオRPG」発売。キャラクター監修を担当。 | |
10/14 | ゲームソフト「まわるメイド イン ワリオ」発売。キャラクター監修を担当。 | |
12/02 | ゲームソフト「さわるメイド イン ワリオ」発売。キャラクター監修を担当。 | |
2005 | 10/20 | ゲームソフト「スーパープリンセスピーチ」発売。キャラクター監修を担当。 |
12/29 | ゲームソフト「マリオ&ルイージRPG2」発売。イラスト監修を担当。 | |
2007 | 05/06 | 妻でアニメーター・銅板画家の奥山玲子が死去。本人の遺志を尊重し、9月まで事実を伏せる。 |
06/25 | NHK BSにて「BSアニメ夜話」第8弾の第1夜「母をたずねて三千里」放映。特別ゲストとして出演。 | |
12 | 任天堂を退職。 | |
2008 | 08/01 | 「小田部羊一アニメーション画集」がアニドウ・フィルムより発行される。 |
年 | 月日 | 小田部羊一の軌跡(2010年代) |
2010 | 03/28 | 「東京アニメフェア2010」の一環として開催された「第9回東京アニメアワード」において「功労賞」を受賞。 |
※太字…小田部羊一が実制作に携わったアニメーション作品 ※赤太字…小田部羊一がメインスタッフ(作画監督、演出等)として制作に参加したアニメーション作品 ※赤字…小田部羊一がメインスタッフ(作画監督、演出等)として制作に参加したアニメーション作品のサブタイトル ※青太字…小田部羊一が原作あるいは著作のアニメーション以外の作品 |