●生誕−1960年代 |
●1970年代 |
●1980年代 |
●1990年代 |
●2000年代 |
●2010年代 |
年 | 月日 | 宮崎駿の軌跡(生誕−1960年代) |
1941 | 01/05 | 4人兄弟の次男として、東京都文京区曙町に生まれる(墨田区という説もある)。 |
1944 | 栃木県の宇都宮市及び鹿沼市に一家で疎開。 鹿沼市に伯父が経営する「宮崎飛行機」があり、父親もその会社の役員であったため。 |
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1947 | 04 | 宇都宮市内の小学校に入学。 |
1950 | 04 | 一家が東京都杉並区永福町に戻ったのに伴い、杉並区立大宮小学校に編入。 |
1951 | 04 | 大宮小から分離・新設された永福小学校に編入。 |
1953 | 04 | 杉並区立大宮中学校に入学。父親や家政婦と一緒に映画館に通うことが多かった。 |
1956 | 04 | 東京都立豊多摩高校に入学。在学中に漫画家を志すようになる。 |
1958 | 12 | 受験勉強の最中に日本初のカラー長編アニメーションである「白蛇伝」(1958年、藪下泰司演出)を見て、アニメーションに興味を持つ。 |
1959 | 04 | 学習院大学政治経済学部に入学。専攻ゼミは「日本産業論」。 同大学には漫画研究会はなく、一番ジャンルの近そうな児童文学研究会に所属する。 |
在学中は修行のために漫画をひたすら描いて貸本用の出版社に持ち込むも、結局採用はされず、作品は1つも完成に至らずに描き出し部分のみが溜まる。毎週土曜日に佐藤文雄のアトリエに通いデッサンの指導を受けていた。 | ||
大学では、左派の哲学者である久野収の講義を唯一熱心に聴講し、堀田善衛の著作を読む。 | ||
60年安保には当初不参加であったが、「アサヒグラフ」に掲載された写真を見てから関心を持ち、無党派で集会やデモに参加する。 しかし、活動はすでに退潮期に入っており、出遅れた格好となった。 |
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1963 | 03 | 学習院大学を卒業。 |
04 | 東映動画最後の定期採用で正社員として入社。同期にアニメーターの角田紘一、高橋信也、美術の土田勇らがいる。 入社後、東京都練馬区に4畳半のアパートを借り、3ヶ月の養成を受ける。 |
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東映動画労働組合主催の上映会で「雪の女王」(1957年、レフ・アタマーノフ監督)を見て感銘を受け、アニメーション制作を一生の仕事にする決意を固める。 | ||
12/21 | 初めて参加した作品である映画「わんわん忠臣蔵」(白川大作演出)公開。小田部羊一の班で動画を担当。 | |
TVシリーズ「狼少年ケン」の動画を担当。話数不明。 | ||
1964 | 東映動画労働組合で書記長に就任。同時期の副委員長は高畑勲。 | |
1965 | 03/20 | 映画「ガリバーの宇宙旅行」(黒田昌郎演出)公開。大塚康生の班で動画を担当。 ラストシーンの変更を提案し、実質的に原画も担当。 |
TVシリーズ「少年忍者 風のフジ丸」の原画を5本担当。 | ||
10 | 同僚でアニメーターの大田朱美と結婚。東京都東村山市に新居を構える。 | |
秋頃から劇場用長編「太陽の王子」の制作準備に自主参加。岩男を描いたのがその始まりだった。 同時期、盲腸炎で入院。 |
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TVシリーズ「ハッスルパンチ」の原画を5本担当。 | ||
1966 | 04 | 「太陽の王子」の作画が開始される。しかし、制作遅延のため10月に制作中断。 |
TVシリーズ「レインボー戦隊ロビン」の原画を3本担当。 第38話の空中戦では、後の宮崎の飛行描写の雛型とも言えるシーンが登場する。 |
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1967 | 01 | 「太陽の王子」の制作が再開される。 |
01/21 | 長男・吾朗誕生。 | |
54年製のシトロエン2CVを購入。 | ||
1968 | 03 | 「太陽の王子」が完成。 |
TVシリーズ「魔法使いサリー」の作画を4本担当。第77話ではクラシックカーのモーガンを登場させ、地中での冒険を描く。 | ||
07 | 映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(高畑勲演出)公開。場面設計、原画を担当。 | |
1969 | 01 | 「中日新聞」の日曜版に漫画「長靴をはいた猫」を3月まで連載。全12回、作者無記名。 |
03/18 | 映画「長靴をはいた猫」(矢吹公郎演出)公開。原画を担当。 | |
04 | 次男・敬介誕生(1970年誕生との情報もある)。東京都練馬区大泉学園に転居。 | |
07/20 | 映画「空飛ぶゆうれい船」(池田宏演出)公開。 市街地での戦車と巨大ロボット・ゴーレムの戦闘シーンの原画を担当。このシーンは宮崎の提案により作中に挿入された。 |
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09 | 「少年少女新聞」の1969年9月12日付28号から1970年3月15日付53号に漫画「砂漠の民」を連載。全26回、「秋津三朗」名義。 | |
TVシリーズ「ひみつのアッコちゃん」の作画を4本担当。メカやモブシーンを中心に腕を振るう。 | ||
年 | 月日 | 宮崎駿の軌跡(1970年代) |
1970 | 大塚康生の依頼により、TVシリーズ「ムーミン」の第21話の原画を手伝う。 | |
劇場用長編「どうぶつ宝島」の準備班に参加。 | ||
埼玉県所沢市の現住所に転居する。 | ||
1971 | 01 | 「東京新聞」の日曜版に漫画「どうぶつ宝島」を3月まで連載。全13回、作者無記名。 |
03/20 | 映画「どうぶつ宝島」(池田宏演出)公開。アイディア構成、原画を担当。 | |
07/21 | 映画「アリババと40匹の盗賊」(設楽博演出)公開。原画を担当。 | |
08 | 東京ムービー社長・藤岡豊と共に、「長くつ下ピッピ」の原作者アストリッド・リンドグレーンとの面会とゴトランド島のロケハンのためにスウェーデンに渡航。宮崎にとってはこれが初の洋行で、現地の文化に衝撃を受ける。しかし、原作者との面会は果たせず、企画も頓挫。後にこの洋行が「魔女の宅急便」制作において生かされる。 | |
08/21 | Aプロダクションに移籍。 | |
09/10 | 高畑勲、小田部羊一と共に東映動画を退社。「長くつ下のピッピ」制作のためAプロダクション(現シンエイ動画)に移籍。 しかし、原作者アストリッド・リンドグレーンの同意が得られず制作中止となる。 |
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11/21 | TVシリーズ「ルパン三世」第5話『十三代五ヱ門登場』放映。大隅正秋の降板後、高畑勲とともに演出を担当。 第15話まではノンクレジット、第16話以降は「Aプロダクション演出グループ」名義。 |
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1972 | TVシリーズ用パイロットフィルム「ユキの太陽」完成。演出、絵コンテ、作画を担当。企画は実現せず。 | |
TVシリーズ「ど根性カエル」第1話の絵コンテを切るも不採用。 | ||
TVシリーズ「赤胴鈴之助」の絵コンテを3本担当。特に第27話『大暴れ!真空斬り』は、飛行メカの登場、天守閣の南蛮からくり、空中戦、ヒロインの救出劇など、宮崎色の濃いものとなっている。 | ||
12/17 | 映画「パンダコパンダ」(高畑勲演出)公開。原案、脚本、画面設定、原画を担当。 | |
1973 | 03/17 | 映画「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」(高畑勲演出)公開。脚本、美術設定、画面構成、原画を担当。 |
TVシリーズ「荒野の少年イサム」の原画を1本、高畑勲の絵コンテの清書を2本担当。 | ||
TVシリーズ「侍ジャイアンツ」の原画を1本担当。 | ||
06 | Aプロダクションを退社。高畑勲、小田部羊一とともにズイヨー映像に移籍し、「アルプスの少女ハイジ」の準備作業に取り掛かる。 | |
07 | 「アルプスの少女ハイジ」の制作に向けて、高畑勲、小田部羊一とともにスイスとドイツにおいてロケハンを行う。 | |
1974 | 01/06 | TVシリーズ「アルプスの少女ハイジ」(高畑勲演出)放映開始。全52話の場面設定、画面構成、2本の原画を担当。 全52話の全カットのレイアウトをこなした。 |
1975 | TVシリーズ「フランダースの犬」(黒田昌郎演出)の原画を1本担当。 | |
06/03 | ズイヨー映像が日本アニメーションへと独立改組され、引き続き同社の所属となる。 | |
高畑勲、小田部羊一とともにに「母をたずねて三千里」の準備作業に入る。 | ||
06-07 | 「母をたずねて三千里」の制作に向けて、高畑勲とともにイタリアとアルゼンチンにおいてロケハンを行う。 | |
1976 | 01/04 | TVシリーズ「母をたずねて三千里」(高畑勲演出)放映開始。全52話の場面設定、レイアウト、1本の作画を担当。 |
1977 | TVシリーズ「あらいぐまラスカル」(遠藤政治、腰繁男、斎藤博演出)の原画を20本担当。 | |
04/23 | 雪印乳業のPR映画「草原の子テングリ」(大塚康生演出)完成。 大塚の依頼によりレイアウトを3分の1程度担当。クレジットの表示は無し。 |
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06/15 | 「未来少年コナン」の準備作業に入る。 | |
10 | 「未来少年コナン」第1話作画イン。 | |
1978 | 04/04 | TVシリーズ「未来少年コナン」放映開始。初めて本格的に演出を務める。 全26話の演出、場面設定、キャラクターデザイン、メカニックデザイン、16本の絵コンテを担当。 当時シンエイ動画に在籍していた大塚康生が作画監督に招聘され、第9・10話では高畑勲が共同演出として制作に参加し、宮崎の強力なサポートとなる。 |
1979 | 01/07 | TVシリーズ「赤毛のアン」(高畑勲演出)放映開始。第15話まで場面設定、画面構成を担当。 |
05 | 日本アニメーションを退社。 | |
06/01 | テレコム・アニメーションフィルムに移籍。 | |
12/15 | 映画「ルパン三世 カリオストロの城」公開。監督、脚本を担当。 | |
年 | 月日 | 宮崎駿の軌跡(1980年代) |
1980 | テレコム・アニメーションフィルムの新人(第二期生)の養成を担当する。 | |
「じゃりン子チエ」の監督依頼を断る。 | ||
「ルパン三世 カリオストロの城」の作画スタッフを中心に、TVシリーズ「ルパン三世」の第145話『死の翼アルバトロス』と第155話(最終話)『さらば愛しきルパンよ』の脚本、演出、絵コンテを「照樹務」名義で担当。 | ||
TVシリーズ「鉄人28号」第8話『恐怖の殺人合体ロボ』の原画を担当。 | ||
11 | 「もののけ姫」、「となりのトトロ」の原初案のイメージボードを描く。 | |
11 | 「ロルフ」の「版権取得の提案」を東京ムービー新社に提出。近藤喜文とともにイメージボードを競作する。 | |
1981 | 映画企画「リトル・ニモ」、「ロルフ」、「シャーロック・ホームズ」(後に「名探偵ホームズ」に改題)の準備作業に携わり、アメリカのロサンゼルスやイタリアに渡航する。 | |
07 | 「戦国魔城」を企画し、徳間書店に提出するも不採用。 | |
08 | 「ロルフ」の制作を徳間書店に打診するも不採用。 | |
09 | 「アニメージュ」誌上の漫画連載を承諾。 | |
10 | 連載する漫画のタイトルが「風の谷のナウシカ」に決定。 | |
11 | 「名探偵ホームズ」の制作が開始され、翌年6月までに6話分の演出を担当する。しかし、著作権の関係から制作が中断され、フィルムの完成は4話までだった。 | |
1982 | 01/10 | アニメ雑誌「月刊アニメージュ」において、漫画「風の谷のナウシカ」の連載を開始。1982年2月号から1983年6月号まで(1982年10月号は休載)。 |
TVシリーズ「怪傑ゾロ」(日本未公開)の原画を手伝う。 | ||
07/03 | 映画「コブラ SPACE ADVENTURE」(出崎統監督)公開。原画を担当(ノンクレジット)。 | |
08 | 日米合作の劇場用長編「リトル・ニモ」制作のため、ロサンゼルスに渡って約1か月の特別講習会に参加する。 | |
「リトル・ニモ」の演出を降りる。 | ||
11/25 | テレコム・アニメーションフィルムを退社。 | |
12 | 「風の谷のナウシカ」の映画化が決定。 | |
1983 | 05 | 「風の谷のナウシカ」の準備作業が開始される。 |
06/15 | 描き下ろしの絵物語「シュナの民」が徳間書店よりアニメージュ文庫として発行される。 | |
08/01 | 「風の谷のナウシカ」作画イン。 | |
1984 | 03/11 | 映画「風の谷のナウシカ」公開。原作、脚本、監督を務める。 お蔵入りとなっていた「名探偵ホームズ 青い紅玉の巻/海底の財宝の巻」が併映される。 |
04 | 東京都杉並区に個人事務所「二馬力」を創設。 | |
06 | スタジオジブリの社名を登記。 | |
06 | 高畑勲監督の次回作として、「水の流れる街」(仮題)の企画を立案。後に実写ドキュメントの「文化記録映画 柳川堀割物語」として1987年8月に公開される。 | |
漫画「風の谷のナウシカ」の連載を再開。「月刊アニメージュ」1984年8月号から1985年5月号まで(1985年3月号は休載)。 | ||
10 | 模型雑誌「月刊モデルグラフィックス」において、「雑想ノート」の連載を開始。1984年11月号から1985年3月号まで。 | |
10 | 宮崎がデザインしたワンダーシップ号が、TVCM「日立マクセル ニューゴールド・ビデオテープ」において流れる。 | |
11 | 宮崎がデザインしたポシェット竜が、TVCM「日立パソコンH2 ポシェット竜編」において流れる。 | |
11/06 | TVシリーズ「名探偵ホームズ」放映開始。宮崎が制作に携わった全6話分も同シリーズにおいて放映される。 | |
12/07 | 「天空の城ラピュタ」の企画原案「少年パズー」を脱稿。 | |
1985 | 02 | 「天空の城ラピュタ」の企画書第2稿を提出。 |
05/18 | イギリスのウェールズ地方にロケハンのため渡航。 | |
06/15 | 東京都武蔵野市吉祥寺に株式会社スタジオジブリを設立される。 | |
06 | 企画書第3稿にあたるシナリオ準備稿を脱稿。 | |
07/15 | 企画書第4稿にあたるシナリオ第二稿を脱稿。 | |
1986 | 08/02 | 映画「天空の城ラピュタ」公開。原作、脚本、監督を務め、挿入歌「君をのせて」の作詞も担当。 TVシリーズですでに放映されていた「名探偵ホームズ ミセス・ハドソン人質事件/ドーバー海峡の第空中戦!」が併映される。 |
スタジオジブリの次回作として「アンカー」(押井守監督予定)を企画するも、実現せず。 | ||
「雑想ノート」の連載を再開。「月刊モデルグラフィックス」1986年11月号から1987年3月号まで。 | ||
漫画「風の谷のナウシカ」の連載を再開。「月刊アニメージュ」1986年12月号から1987年6月号まで。 | ||
12/01 | 「となりのトトロ」の企画書を提出。 | |
1987 | 04/02 | 「新文化映画 柳川堀割物語」(高畑勲監督)完成。 |
05/02 | ラジオドラマ「シュナの旅」がNHK・FMにて放送される。 | |
07/01 | 「となりのトトロ」の作画を開始。 | |
1988 | 04/16 | 映画「となりのトトロ」公開。原作、脚本、監督を務め、主題歌「となりのトトロ」の作詞も担当。 映画「火垂るの墓」(高畑勲監督)が併映される。 |
04/29 | 宮崎による「魔女の宅急便」のシノプシスが完成。 | |
06/18 | 「魔女の宅急便」のシナリオを脱稿。 | |
07/08 | 「魔女の宅急便」のシナリオの改定稿が完成。 | |
09 | 「魔女の宅急便」の作画を開始。 | |
1989 | 03/25 | 横浜博覧会にて宮崎がデザインした幽霊船が登場する映画「赤いカラスと幽霊船」が公開される。 |
07/29 | 映画「魔女の宅急便」公開。脚本、監督、プロデューサーを務める。 | |
「雑想ノート」の連載を再開。「月刊モデルグラフィックス」1989年12月号から1990年5月号まで。 | ||
年 | 月日 | 宮崎駿の軌跡(1990年代) |
1990 | 02/28 | 「航空活劇漫画映画 ポルコ・ロッソ−紅の豚」という題名の企画書を提出。 |
漫画「風の谷のナウシカ」の連載を再開。「月刊アニメージュ」1990年4月号から1991年5月号まで。 | ||
05/11 | 「大東京物語」の企画書を提出。 | |
09/16 | 「紅の豚」制作に向けたロケハンのためイタリアに渡航。 | |
1991 | 04/18 | 「紅の豚」の演出覚書とストーリー案を発表。 |
04/18 | 「墨攻」の企画メモを提出。 | |
07 | 「紅の豚」の作画を開始。 | |
07/20 | 映画「おもひでぽろぽろ」(高畑勲監督)公開。製作プロデューサーを担当。 | |
1992 | 07/18 | 映画「紅の豚」公開。原作、脚本、監督を務める。 |
08/06 | 東京都小金井市にスタジオジブリの新社屋が完成。基本設計を自ら行なう。 | |
11/23 | TVスポット「そらいろのたね」が日本テレビ系で放映開始。監督を務める。 | |
12 | TVスポット「なんだろう」が日本テレビ系で放映開始。デザイン原案、演出、原画を務める。 | |
12 | 「月刊モデルグラフィック」に連載されていた「雑想ノート」が「宮崎駿の雑想ノート」として大日本絵画より発行。その際、新作「豚の虎」が描き下ろされる。 | |
1993 | 漫画「風の谷のナウシカ」の連載を再開。「月刊アニメージュ」1993年3月号から1994年3月号まで。 | |
12/15 | 中野武蔵野ホールにて「そらいろのたね」と「なんだろう」が上映される。「海がきこえる」(望月智充監督)が併映される。 | |
12/31 | 1980年の「もののけ姫」原初案が絵本として出版される。 | |
1994 | 02/10 | 「月刊アニメージュ」3月号をもって漫画「風の谷のナウシカ」の連載が終了。 |
「月刊モデルグラフィックス」1994年3・4・10月号に「雑想ノート ハンスの帰還」を連載。 | ||
07/16 | 映画「総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ」(高畑勲監督)公開。企画を担当。 | |
1995 | 04/29 | 「もののけ姫」の企画書が完成。 |
05/14 | 「もののけ姫」制作のため、屋久島においてロケハンを行う。 | |
07/10 | 「もののけ姫」の作画が開始される。 | |
07/15 | 映画「耳をすませば」(近藤喜文監督)公開。脚本、絵コンテ、製作プロデューサーと一部シーンの演出を務める。 「On Your Mark」が併映され、同作品の原作、脚本、監督を務める。 |
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11/05 | ラジオドラマ「宮崎駿の雑想ノート」がニッポン放送にて放送開始。 | |
1996 | 04/07 | ラジオドラマ「宮崎駿の雑想ノート」放送終了。全12話が25回に分けられて放送された。 |
07/31 | 自身の著書「出発点 1979〜1996」が徳間書店より発行される。 | |
1997 | 04/04 | 日本テレビ系列の「金曜ロードショー」にて、宮崎が原作、撮影技師デザインのオープニングが放映開始。2009年3月27日まで放映。 |
06/01 | スタジオジブリが徳間書店に吸収合併され、「株式会社徳間書店スタジオジブリ・カンパニー」となる。 | |
07/12 | 映画「もののけ姫」公開。原作、脚本、監督を務め、主題歌「もののけ姫」の作詞も担当。 | |
1998 | 01/14 | スタジオジブリを一時的に退社。 |
02 | ベルリン国際映画祭に出席するために、ドイツへ渡航。 | |
03/03 | サン=テグジュペリの足跡を辿るNHK・BS2の番組の企画で、パリ経由でサハラ砂漠に渡る。サハラ砂漠にて庵野秀明と対談。 この模様は5月9日に「世界・わが心の旅」にて放映される。 |
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06 | 東京都小金井市にアトリエ「豚屋」が完成。宮崎の個人事務所「二馬力」も同アトリエを使用。 | |
09 | 豚屋において「アニメーション演出講座 東小金井村塾2」が開始され、塾頭としてアニメーション演出志望の受講者に対し講義を行なう。 | |
「煙突描きのリン」の準備作業を行う。 | ||
「月刊モデルグラフィックス」において、「妄想ノート 泥まみれの虎」の連載を開始。1998年12月号から1999年5月号まで。 | ||
1999 | 01/16 | スタジオジブリに「所長」として復帰。 |
07/17 | 映画「ホーホケキョ となりの山田くん」(高畑勲監督)公開。クレジットに「制作」担当者として表記される。 | |
07/28 | 豚屋において「ジブリの森の美術館」(仮称)構想が発表される。 | |
08 | 「煙突描きのリン」が廃案となる。 | |
09/01 | 美術館上映用の短編3本の制作を開始。 | |
09 | 「もののけ姫」の北米公開に合わせたキャンペーンのために渡米。 | |
11/02 | 「千と千尋の神隠し」の企画書「不思議の町の千尋―この映画のねらい」を脱稿。 | |
年 | 月日 | 宮崎駿の軌跡(2000年代) |
2000 | 02 | 「千と千尋の神隠し」の作画が開始。 |
03 | 井の頭恩賜公園にて「三鷹の森ジブリ美術館」の起工式が行なわれる。 | |
04/29 | 映画「もののけ姫」の英語字幕版と日本語字幕スーパー版が公開される。 | |
09/20 | 徳間書店社長の徳間康快が死去。 | |
10/16 | 「徳間康快社長お別れの会」の委員長を務める。 | |
「ハウルの動く城」(細田守監督予定)、「バロン」(森田宏幸監督予定)を企画。 | ||
2001 | 07/20 | 映画「千と千尋の神隠し」公開。原作、脚本、監督を務める。 |
09 | TVCM「『三鷹の森ジブリ美術館』チケット販売告知スポット」放映開始。演出と原画を務める。 | |
10/01 | 「三鷹の森ジブリ美術館」開館。映像展示室「土星座」にて「くじらとり」上映開始。監督、脚本を務める。 常設展示「フィルムぐるぐる 華麗なる舞踏会/ランプータンの冒険/魚の魚」上映開始。監督、脚本を務める。 |
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12 | 「千と千尋の神隠し」のキャンペーンのため渡仏。 | |
2002 | 01/03 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「コロの大さんぽ」上映開始。原作、脚本、監督を務める。 |
02 | 第52回ベルリン国際映画祭にて「千と千尋の神隠し」が金熊賞(グランプリ)を受賞。 | |
「ハウルの動く城」の制作が頓挫する。 | ||
07/20 | 映画「猫の恩返し」(森田宏幸監督)公開。企画を担当。「ギブリーズ episode2」(百瀬義行監督)が併映される。 | |
09 | 「千と千尋の神隠し」のキャンペーンのため渡米。 | |
09/29 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「めいとこねこバス」上映開始。原作、脚本、監督を務める。 | |
10/02 | 三鷹の森ジブリ美術館にて企画展「天空の城ラピュタと空想科学の機会達展」が開始。 短編「空想の空とぶ機械達」が上映開始。原作、脚本、監督を務める。 |
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11/27 | 三鷹の森ジブリ美術館の常設展示「フィルムぐるぐる タコレーター/ぴよぴよバーバ/ぼうぼう君」上映開始。監督、脚本を務める。 | |
2003 | 02/01 | 「ハウルの動く城」の制作が再開される。 |
03/23 | 「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞長編アニメーション賞を受賞。 | |
06/01 | TVCM「ハウス食品『おうちで食べよう。』シリーズCM夏バージョン」放映開始。 監督を務め、BGM「お母さんの写真」の作詞も担当。 |
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2004 | 09/01 | 三鷹の森ジブリ美術館上映用の短編3本の制作を開始。 |
09 | 第61回ヴェネチア国際映画祭にて「ハウルの動く城」がオゼッラ賞(技術貢献賞)を受賞。 | |
11/20 | 映画「ハウルの動く城」公開。脚本、監督を務める。 | |
11-12 | 11月から12月にかけて、フランスとイギリスを訪問。フランスでは「ハウルの動く城」のキャンペーンを行ない、イギリスではアードマン・スタジオを訪問し、同所にて「ハウルの動く城」を上映する。 | |
2005 | 04/01 | スタジオジブリが徳間書店の傘下から独立し、「株式会社スタジオジブリ」発足。鈴木敏夫が代表取締役に、宮崎は取締役に就任。 |
05/21 | 三鷹の森ジブリ美術館にて企画展示「アルプスの少女ハイジ展〜その作り手たちの仕事〜」が開始。監修・解説を務める。 | |
06 | 鈴木敏夫とともにアーシュラ・K.ル=グウィン宅を訪問し、同氏原作「ゲド戦記」の映画化の承認を得る。 | |
09 | 第62回ヴェネチア国際映画祭に出席し、栄誉金獅子賞を受賞。 | |
10 | 国際交流基金賞を受賞。 | |
2006 | 01/03 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「星をかった日」(脚本、監督)、「やどさがし」(原作、脚本、監督)、「水グモもんもん」(原作、脚本、監督)の3本の上映開始。 |
02 | ロバート・ウェストール著「ブラッカムの爆撃機」に収録するエッセイ漫画を描くために渡英。そこでテート・ブリテンに立ち寄り、ラファエル前派の絵画「オフィーリア」(1852年、ジョン・エヴァレット・ミレイ作)に感銘を受ける。 | |
04 | 「崖の上のポニョ」の準備作業を開始。 | |
07/29 | 映画「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督)公開。原案(シュナの旅)を担当。 | |
10/02 | 「崖の上のポニョ」の作画が開始。 | |
12/20 | 宮崎がデザインしたカラクリ時計が日本テレビ本社2階の壁面に設置され、完工式が行われる。 | |
2007 | 03/27 | NHKの情報番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」にて宮崎の特集が放映される。 |
04/18 | 三鷹の森ジブリ美術館の常設展示「フィルムぐるぐる マダラン界」上映開始。監督、脚本を務める。 | |
05/19 | 三鷹の森ジブリ美術館にて企画展示「3びきのくま 映画にできないとっておきのおはなし」が開始。企画・構成を担当。 | |
2008 | 04 | スタジオジブリの社内保育園「3匹の熊の家」がスタート。発案・基本設計等を行なう。 |
06/05 | 東京都小金井市の名誉市民に選定される。 | |
07/16 | 1996年に発行された「出発点 1979〜1996」の続編にあたる著書「折り返し点 1997〜2008」が岩波書店より発行される。 | |
07/19 | 映画「崖の上のポニョ」公開。原作、脚本、監督を務める。 | |
11/17 | 三鷹の森ジブリ美術館の常設展示「フィルムぐるぐる 進化論」上映開始。監督、脚本を務める。 | |
2009 | 07/25 | 第2回バークレー日本賞を受賞。 |
08/01 | TVCM「読売新聞 企業CM ふうせんガムすけ編」放映開始。企画を担当。 | |
年 | 月日 | 宮崎駿の軌跡(2010年代) |
2010 | 01/03 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「ちゅうずもう」上映開始。企画、脚本を務める。 |
06/22 | 東京都三鷹市の名誉市民に選定される。 | |
07/17 | 映画「借りぐらしのアリエッティ」(米林宏昌監督)公開。企画、脚本を務める。 | |
07/25 | 宮崎がデザインした公園「Aさんの庭」が開園。 | |
11/20 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「パン種とタマゴ姫」上映開始。原作、脚本、監督を務める。 | |
2011 | 06/04 | 三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」にて「たからさがし」上映開始。企画、構成を務める。 |
07/16 | 映画「コクリコ坂から」(宮崎吾朗監督)公開。企画、脚本を務める。 | |
2012 | 10/30 | アニメーション映画監督としては初めて文化功労者に選定される。 |
2013 | 07/20 | 映画「風立ちぬ」公開。原作、脚本、監督を務める。 |
09/01 | 長編アニメーション映画制作からの引退を表明。6日、引退会見を行なう。 | |
11/16 | 映画「夢と狂気の王国」(砂田麻美監督)に出演する。 | |
2014 | 07/25 | アイズナー賞にて殿堂入りを果たす。 |
11/08 | アカデミー名誉賞を受賞。 | |
2015 | 05/08 | 辺野古基金の共同代表に就任。 |
※太字…宮崎駿が実制作に携わったアニメーション作品 ※赤太字…宮崎駿が演出あるいは監督を務めたアニメーション作品 ※赤字…宮崎駿が演出あるいは監督を務めたアニメーション作品のサブタイトル ※青太字…宮崎駿が原作あるいは著作のアニメーション以外の作品 ※青字…宮崎駿が原作あるいは著作のアニメーション以外の作品のサブタイトル |