田渕屋と澤村舩具店の間の通りを南に100メートルほど進むと、鞆の浦のシンボルである常夜灯があります(写真左)。地元では「とうろどう」と呼ばれています。日中は逆光と観光客の多さで撮影が難しいため、翌朝に撮影しました。写真右は、潮の干満差が大きい瀬戸内海の港町でよく見られる雁木(がんぎ)です。
朝と夜の常夜灯です。街灯や現代の灯台の光に比べて、常夜灯の光は地味なのですが、明かりがなかった昔は常夜灯がほとんど唯一の光であり、灯台の役割を果たしていました。
常夜灯のすぐ側で、埋立架橋案反対派の人達が観光客相手に署名活動をやっていました。記入台の上には、現在の風景と架橋後の風景を比較した写真があります。
埋立架橋案とトンネル案を比較し、トンネル案のメリットを説いた張り紙です。
港湾の埋立と橋の建設をめぐり、現在街は反対と推進で意見が分かれています。写真のような横断幕や看板を街の至る所で見かけました。
こちらも瀬戸内海の港町にはよくある浮桟橋です。浮桟橋は潮位の干満に合わせて上下するため、常に水面から一定の高さを保つことができ、干満差が大きい瀬戸内海沿岸では多用されています。
タイヤを付けた白と赤の小さな漁船です。ポニョの本編にも同じようなデザインをした漁船がたくさん登場します。
鞆の中心部だけじゃなく、隣接する鞆平地区にも映画のモデルになった場所がたくさんあるので、そちらに向かうことにしました。途中、宮崎監督がよく買い物をしたという村上製パン所がありました。
しばらくすると道が開け、宗介が通っている「ひまわり園」のモデルになったと思われる鞆平保育所が見えてきます。
海沿いに立地し、二方を堤防に囲まれ、手前に小さな砂浜がある点が共通しています。
砂浜は満潮になると水没します(写真右)。
※鞆平保育所は2010年度をもって閉園しました。
堤防から砂浜に下りるために階段です。映画の中にも、宗介が階段を下りるシーンがあります。堤防の上部がカールしているところも映画と同じですね。
保育所の海側です。砂浜といっても、ゴツゴツした岩石もたくさん転がっています。堤防下部や岩石にはフナムシがわんさかいます(笑)。映画でもフナムシが湧いているシーンがあります。
鞆平保育所のすぐ近くに、写真のような丁字路があります。映画でも、ひまわり園近くの丁字路でリサカーと「ひまわりの家」の送迎車が合流するシーンがあります。
鞆平保育所の前には鞆鉄バスのバス停があります。ひまわり園の前にもバス停がありました。宗介がポニョの入ったバケツの隠し場所を探しているシーンで確認できます。道幅は非常に狭く、ここのバス路線は狭隘路線としてマニアの間では有名なようです(笑)。2009年8月にはポニョの絵も描かれたようです(写真右、2011年5月撮影)。
道路側から見た保育所(写真左)と、海側から見た保育所(写真右)です。ひまわり園と建物の外観は似ていませんね。
鞆平保育所からさらに南に進むと、二灯式の時差式信号機があります。映画でも、ドックとトンネルの横に二灯式の信号機がありました。写真の信号機は横型ですが、映画では縦型になっています。ここに交差点があるわけではなく、道幅が非常に狭く見通しも悪いため、交互通行を円滑にする目的で信号機が設置されています。
信号機を過ぎると、藤本酒店があります。そういえば、鞆の街にも漢字違いの冨士元美容室がありました。
ポニョの父親である「フジモト」はここから名付けられたのかもしれません。カタカナになっているため、どちらの"フジモト"さんが参考にされたのかはわかりませんが(笑)。
しばらくすると景色が広がり、平港が見えてきます。写真の海沿いの道は宗介の通園ルートに似ています。
特に、道路横の堤防の形がそっくりですね。
防波堤からの平港と鞆平地区の眺めです。宗介の通園ルートを海側から見た時の街並にそっくりです。
平港には造船所とドックもあります。両脇にクレーンがあるところも映画と同じです。
ドックには小金井丸とほぼ同じデザインの船が泊まっていました。近くで見ると、その巨大さに圧倒されます(写真右)。スクリューの色と形も映画と同じでした。
ドックを横から写した写真です。映画ではここが宗介の通園ルートになっていて、リサが無茶な横断をしているのですが、実際には小さな歩道があるのみでした。
平港の近くには、宗介の家と同様に崖の上に建っている民家が実際にありました。
鞆平地区を一通り見終えた私は、再び鞆の街へ戻ります。次のページでは、宮崎監督が鞆の浦滞在時に作品の構想を練った崖の上の一軒家や監督が設計に携わった「御舟宿いろは」などを紹介します。
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